ノーベル医学生理学賞の山中伸弥教授の受賞決定は日本にとって喜びであり、誇りであり、励ましである。昨今の憂鬱(ゆううつ)を吹き飛ばし、自信を取り戻そう。
二〇〇〇年以降では、その年の化学賞を、導電性プラスチックを発見した白川英樹さんが受賞、合わせて十人が選ばれている。化学賞のほか、湯川秀樹博士以来、日本の得意とする素粒子物理における受賞が続いた。
そのあと、東日本大震災が襲った。技術立国日本で起きてはならないはずの原発事故が起きた。
◆これまでとは違って
そのあとがいけなかった。震災被災者の協調と奮闘は世界に伝えられたが、原発事故は日本に深く悩ましい打撃を与えた。
自信喪失とまでは言わないが、とりわけ科学者や技術者らは原子力分野でなくとも、きっとその良心に陰りやためらいを覚え、日本人一般は科学技術に対してある種の疑いをもちはじめた。
無責任な政治や電力会社の不適切な態度が、それらを増幅させてきたことはいうまでもない。
そこへ、山中教授受賞決定の知らせだ。過去のそれらとは、またちがう喜びを日本人は感じたのではないか。
おおまかに言えば、ヒトの皮膚細胞を分化・増殖させることにより、病んだ組織や臓器を取り換えることができるようになるということだ。これまでの医学がようやく開拓してきた移植医療という道を再生医療という形で可能にすることだ。
臓器提供者、ドナー不足の心配は消えるし、自己由来の細胞なのだから恐ろしい拒否反応もなくなる。世界中の医学者、企業がしのぎを削る分野でいち早く「万能細胞」を作り上げた。
◆熱い思いあってこそ
山中教授の受賞を一番喜んでいるのは、重い糖尿病や神経系の難病、その他、今の医学では見放されそうになっている人たちにちがいない。再生医療のほか新薬開発などでも医学に革命を起こしたといえる。
国は既に多くの予算を付けている。だがさらに支援を増やしてはどうか。医療産業として日本が世界をリードするようになってもらいたい。日本の先端技術はクルマや電子機器などだけではない。
山中教授はもともと臨床医で整形外科を志していた。ただし、自分でもやぶ医者だと思っていたそうだ。そこで「医者をやめても何もしないわけにはいかないし、どうしたら自分が世の中の役に立つのか」と考え直し、基礎医学に向かったそうだ。
ここで注目したいのは、どうしたら自分が役に立つのかという思いだ。ただの学問ではなく、社会の役に立てるかという医者としての熱い思いだ。
四年前の名古屋の講演会では、治したい病気として若年型糖尿病、脊髄損傷、白血病の三つを目標に掲げていた。いずれも、学校に通う子どもや働き盛りの人の病気だから、特に助けたいと語っていた。
そういう思いは、いかにも情熱のある人らしく、その熱い思いこそが、世界的な発見と研究についにつながったのではないか、と想像してみたくもなる。そういう情熱のありよう、また研究の姿勢はこれから未来を背負う子どもや若い人にこそ、よく読み取ってほしいところだ。
二十世紀の最初の年、一九〇一年に始まったノーベル賞は役に立つ科学を顕彰した。科学とは人類に奉仕するものであり、ただの学問であってはならなかった。
医学生理学賞でいえば、第一回の受賞者、ドイツの細菌学者ベーリングは当時人々を苦しめていた破傷風やジフテリアの血清療法を見つけた。日本の北里柴三郎とともに研究した。その後の受賞者、結核菌を発見したコッホも同列にあり、病気との闘いだった。
◆世界の人々に役立てる
半世紀を過ぎると、若き科学者クリック、ワトソンのDNAの二重らせん構造解明など生命体の神秘の部分への研究が花開き始めた。光学顕微鏡でなく、電子顕微鏡、エックス線回折撮影やコンピューターといった新鋭機器が生命の深淵(しんえん)をのぞき込んだ。
山中教授の功績は、神の領域にもさしかかる。倫理的に検討すべき課題はある。しかし、それをよく乗りこえて人類の幸福に資することこそが、この業績に報いる道である。
日本で生まれた技術を世界にはばたかせよう。世界の人々に役立てよう。そして受賞を祝福しつつ私たちは自信を取り戻そう。
この記事を印刷する