その青年の仕事は、日記を読むことだった。あるものは血の痕があり、あるものは海水でふやけた日本兵の日記▼第二次大戦中、ハワイにある米軍の情報機関には、戦場で見つかった日本軍の文書類が集められた。兵士の日記から軍事情報を探すのが任務だったが、青年は仕事を超えて、作業に夢中になった▼部隊が全滅し、たった七人生き残った兵の日記。死を覚悟し、手帳を家族に届けてくれるよう依頼する英語の書き込みがある日記。耐えがたいほど感動的なものがあった。文書は解析後、すべてワシントンに送る規則だったが、青年は掟(おきて)を破った。いつの日か遺族の元に届けようと、ひそかに取り置いた▼この青年ドナルド・キーンさんは、のちに千年にわたる日本の日記文学の流れを追った名著『百代(はくたい)の過客(かかく)』の序に記した。<実際に会ったことはないけれども、そうした日記を書いた人々こそ、私が初めて親しく知るようになった日本人だったのである>▼キーンさんは自ら日本兵を尋問し、信じ難い残虐行為を苦悩を感じつつ調べ上げたこともある。それでも、廃虚の街で人々がみせた沈着さ、礼儀正しさに胸を打たれ、復興を信じた。そして、東日本大震災を機に、日本国籍を取った▼キーンさんの「東京下町日記」が、きょうから始まった。この国への限りない愛情を綴(つづ)った日記帳の一ページ目が開かれた。