虹の入江から雨の海に乗り出し、左手にアルプスを望みながら、南東へと進む。目指すは、静かの海。そこには、人類が初めて月に降り立った足跡が、今なおくっきりと残っている。そんな月面旅行を夢想しつつ、ここ数日、押し入れの奥から引っ張り出した望遠鏡をのぞいている▼行けそうで行けないところ、手が届きそうで届かないもの。そんな目標がないと、人間は大きな挑戦ができない。月がなかったら、果たして人類は宇宙に乗り出しただろうか▼米国の天文学者カミンズ博士の『もしも月がなかったら』(東京書籍)によると、月のない地球は、こんな世界だ。月の引力がないために地球の自転はずっと速く、一日は八時間▼潮の満ち引きは太陽の引力だけで引き起こされることになるので、規模は三分の一に。命の揺りかごといわれる干潟のような地は狭くなるから、生命進化の歩みは遅くなるだろう▼自転が速いために、猛烈な風が吹き続ける。台風ともなれば秒速八〇メートル。騒々しく猛々(たけだけ)しい世界だ。花はのんびり咲いておられぬし、鳥のさえずりもかき消される。そんな環境なら、植物も鳥も違った進化の道を歩むはずだ。人類が誕生しても、やたらせっかちで甲高い大声で話す人ばかりになったかもしれない▼あすは中秋の名月。花鳥風月のある世界に感謝しつつ、<名月やしづまりかへる土の色>許六。