季節の変わり目に、いつもしみじみと納得してしまう言葉がある。<暑さ寒さも彼岸まで>。いかにも生活実感に根差した感覚である。セミの声が途切れなかった残暑は、彼岸の中日のきのうを境に、季節が切り替わったような涼しさになった▼数日前、公園の茂みに彼岸花が一つだけ咲いていた。<まことお彼岸入(いり)の彼岸花>種田山頭火。秋の彼岸のころ、計ったように律義に咲くこの花も、今年はあまり姿を見せていない。厳しい暑さが開花を妨げていたのだろう▼紅色の花に遭遇すると、どきりとする。毒々しさを含んだ燃えるような花の色。秋の気配を感じると、忽然(こつぜん)と地面から茎が伸び、花が開く。その成長ぶりにもどこか妖しさを感じるからかもしれない▼別名の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)はサンスクリット語で「天上の花」の意味だ。おめでたいことが起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ているが、死人花、幽霊花などの不吉な別名も多い▼<むらがりていよいよ寂しひがんばな>日野草城。彼岸花を詠んだ句はどこか寂しげだと以前、書いたら、読者から江戸期の俳人溝口素丸の句を教えてもらった。<曼珠沙花狐の嫁入に灯(とも)しけり>。イメージが少し変わった▼原産地は中国。食用のために移植された。根は毒を抜けば食べられる。花が短い命を静かに終えると、本格的な里の秋の到来である。