野田佳彦首相が党代表に再選された民主党。政権交代を果たした三年前とはすっかり変質してしまった。今こそ「政権交代の原点」へと舵(かじ)を切るべきだ。
国会・地方議員、党員・サポーター合わせて三分の二の支持を集めて勝ち抜いた野田氏にとって、圧倒的な支持とは裏腹に、厳しい代表選だったのではないか。
「辞めろ」「帰れ」「原発やめろ」。選挙戦終盤の十九日に行われた唯一の街頭演説会で、野田氏を待っていたのは、激しいヤジの嵐だった。就任後初めて街頭に立ち、民主党を取り巻く現状の厳しさを思い知らされただろう。
◆国民の視線厳しく
二〇〇九年夏の前回衆院選で、国民の熱い期待を担って誕生した民主党政権への視線が、なぜこれほど変わってしまったのか。
それは、野田民主党が国民の期待する方向とは全く違う針路を進み始めたからだろう。
官僚丸投げの政治から政治家主導の政治へ、中央集権から地域主権へ、税金の無駄遣いと天下り根絶、コンクリートから人へ、国民の生活が第一、緊密で対等な日米同盟関係、などなど。
民主党が三年前の衆院選マニフェストで掲げた理念・政策は、時を経て色あせるばかりか、ますます輝きを増して見える。それは、民主党政権の力不足か、やる気が足りないのか、なかなか実現しないことと無縁ではないのだが。
その一方、マニフェストには明記されず、やらないと約束していた消費税率引き上げを、自民、公明両党と組んで強行した。
野田氏は「マニフェストに書いていなかったことは、国民に率直におわび申し上げなければならない」と述べるのだが、必ずこう付け加える。「国民を守るために先送りできないと判断した」「その意義を丁寧に説明していく」と。
◆選択肢を示す必要
もちろん日本は代議制民主主義である。選挙前に想定しなかった事態に的確に対応することは必要だ。その際、公約がどうの、マニフェストがどうのと、文句を付ける国民はいまい。
例えば、東日本大震災復興のための公共事業積み増しや、東京電力福島第一原発事故後の脱原発政策などだ。しかし消費税増税は、これらとは全く異なる。
少子高齢化社会の本格到来を迎え、社会保障制度を持続可能なものにすることは避けて通れない。その際、財源をどう確保するのかは幾つかの選択肢があるはずだ。
その中で、国民は消費税増税ではなく、税金の無駄遣いをなくして財源を創り出すと訴えた民主党に政権を託した。
主権者たる国民の負託を受けた政権がマニフェストの約束を実現する。この契約関係が平然と破られては、民主主義を危うくする。十年近くをかけて、せっかく根付き始めたマニフェスト選挙が廃れていくのは何とも悲しい。
そんな野田氏を「選挙の顔」に頂いて戦う次期衆院選は民主党にとって厳しい戦いになるだろう。橋下徹大阪市長率いる日本維新の会の伸長によっては、第三党転落の可能性すらささやかれる。解散時期を多少遅らせたからといって状況はさほど変わりあるまい。
だからこそ、野田氏の代表再選は、グリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」を思い出させてならない。笛を吹く野田氏に率いられ、民主党議員がいなくなる…。
政権交代は常に起こりうるとはいえ、民主党が消えてなくなったり、極端に縮めばいいというものではない。次期衆院選後は自民党が政権を取る可能性が高いとしても、自民党に代わる勢力は必要だ。国民が政権の選択肢を持たない政治は、暴走を許す。
民主党代表選と並行して行われている自民党総裁選で、各候補は原発稼働継続や集団的自衛権の行使容認をそろって訴えている。
民主党が自民党に擦り寄り、同様の主張をするのなら、もはや存在価値はない。例えば「三〇年代の原発稼働ゼロ」を最低限の目標とすることや、集団的自衛権の行使を禁じる政府の憲法解釈は変えないことを掲げてはどうか。自民党との対抗軸に十分なり得る。
同時に、マニフェストで掲げた民主党の原点に、いま一度立ち返らねばならない。代表選で各候補が違いこそあれ、党の原点を口々に語ったのも、原点から遊離した現状への危機感からだ。
◆「お任せ」を脱して
民主党政権の三年間、国民は期待し、落胆もした。それは「お任せ」民主主義を脱し、主体的に政権を選択した故の痛みでもある。
国民の生命と財産を守り、生活を豊かにする政権を選び抜く。長い道のりであっても、地道に、粘り強く、決して諦めずに、成し遂げたい。それは主権者たる国民の権利であり、義務でもある。
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