東京ドームの近くにたたずむ慰霊碑に、気付く人は少ない。刻まれているのは、沢村栄治、吉原正喜(東京巨人軍)、景浦将、西村幸生(大阪タイガース)ら、戦死した六十九人のプロ野球選手の名前だ▼名古屋軍の投手だった海軍少尉石丸進一の兄が、遺族代表として碑文を寄せている。二十勝を挙げた一九四三年暮れに応召。四五年五月十一日、海軍の鹿屋基地で特攻隊員として出撃命令を受けた▼<白球とグラブを手に戦友と投球 よし ストライク10本 そこで、ボールとグラブと“敢闘”と書いた鉢巻を友の手に託して機上の人となった。愛機はそのまま南に敵艦を求めて飛び去った>。二十二歳という若さだった▼伝説の投手沢村は、最前線で手りゅう弾を連投し投手生命を絶たれた。三度目の赤紙を受け、乗っていた輸送船が東シナ海で撃沈され、帰ってこなかった。二十七歳だった▼初代「ミスタータイガース」の景浦は二度目の応召先のフィリピンで戦死した。二十九歳。将来の球界を背負うはずだった多くの選手が戦地で命を失った▼<野球がやれたことは幸福であった><死んでも悔いはない>。白球とともに届けられた石丸の遺書には、そう書かれていた。悔いはない、は本心とは思えない。打ち砕かれた無数の夢や未来の上に、今があることを忘れたくない。今日は、戦後六十七回目の八月十五日。