ユーロが存亡の危機にあるというのに、欧州の将来像をめぐる議論が聞こえてきません。統合のあり方をめぐる大きな議論はなぜ起きないのでしょうか。
ドイツ言論界の重鎮として知られる哲学者、ハーバーマス氏が近著で記しています。
「連邦か反連邦か、アメリカ合衆国の建国時、将来の国のあり方をめぐって大いなる国民的議論がみられたというのに、ここ欧州では専門家同士の議論以外、一般市民や知識人の間で議論された例は、寡聞にして知らない」
◆EU条約と制憲会議
米国は独立戦争後、緩やかな連合国家を形成した連合規約の時期を経て、連邦制を一つの理念とした合衆国憲法を制定しましたが、この間、ハミルトン、マディソンら若き建国の父たちが新聞、雑誌上で侃々諤々(かんかんがくがく)の言論活動を繰り広げ、国家の枠組みを基礎付けました。論文集は、「ザ・フェデラリスト」に纏(まと)められ、今に読み継がれています。
翻って欧州。現行の欧州連合(EU)基本条約(リスボン条約)の原型となった欧州憲法条約の制定会議が招集された頃、欧州統合がアメリカ建国史と比較されて論じられました。会議がフィラデルフィアの制憲会議に、議長のジスカールデスタン元仏大統領がジェファソンになぞらえられたこともあります。
しかし、国家主権喪失への不安もあって憲法条約草案はフランス、オランダの国民投票で批准拒否され、数年の冷却期間を置いてようやく現在の形で発効しました。
修正は最小限にとどまりましたが、「憲法」という名称を削り、「EUの歌」「EUの旗」に関する条項を削除するなど、国家的な体裁を極力薄めるものでした。いわば、将来の政治形態には言及しないという暗黙の了解で妥協したともいえます。
◆独違憲訴訟が問うもの
米国史の文脈で比較する限り、現在の統合欧州は連合規約時代の緩い国家連合の段階に近いのかもしれません。問われているのは今後の選択です。
ハーバーマス氏のいう欧州レベルの大いなる議論こそ聞かれませんが、静かな、しかしEUの方向性を左右しかねない議論が、今ドイツ憲法裁判所を舞台に進められています。
ドイツでは、ユーロ導入時以来、EUへの権限移譲が進むたびに統合批判派から基本法(憲法)との整合性を問う違憲訴訟が起こされてきました。
憲法裁は、主権移譲を規定した基本法条項などからいずれも政府の決定を合憲と認めてきましたが、同時にEUに関わる政策の是非については民意を代表する連邦議会の権限強化を図るべきだとの判断も示してきました。
現在審理されている訴訟は、メルケル首相の主導で纏められた新財政協定および欧州安定メカニズム(ESM)の違憲性を問うものですが、従来の訴訟と決定的に違うのは、憲法裁判所のフォスクーレ長官が審理に先立ち新聞紙上で見解を表明、現行基本法で可能な権限移譲は限界に達しており、さらなる移譲には新たな憲法の制定、その際には民意を問う国民投票も必要、と示唆したことです。
第一次大戦後、最も進んだ民主的憲法といわれたワイマール憲法下、民族主義の暴走でナチス政権誕生を許した歴史的な反省から、ドイツが国政レベルの国民投票を封印してきたことはよく知られています。
ドイツが国家の根幹に関わる国民投票の必要性まで語り始めたこと自体、現在の統合欧州が抱える危機の深刻さを物語っています。九月中旬に予定されている判決はEUの針路に少なからぬ影響を及ぼすでしょう。
統合推進派のショイブレ独財務相は独主要誌で、EUへの一層の権限移譲は不可欠と訴えながら「欧州は、アメリカ合衆国やドイツのような連邦国家をモデルとしたものにはならない。それは独自の形態をとる」と話しています。
◆「統合のかたち」論ぜよ
クーデンホーフ・カレルギー伯による汎ヨーロッパ運動以来、二度の世界大戦を挟んで戦後チャーチル英首相による欧州合衆国構想まで、欧州には脈々と受け継がれてきた統合への意思があります。
銀行同盟、財政同盟、さらには政治統合という統合深化の道を進んでいけるのか。国際金融市場の猛威、経済原則の前に一部加盟国のユーロ離脱を余儀なくされ、統合の後退に追い込まれるのか。
EUをこの重大な岐路に追いやった要因の一つは、EUの将来像に関する大きな指針を示せない政治、そして議論の不在にあります。欧州危機は、ショイブレ財務相のいう「独自の形態」をめぐる広い議論を起こすよう迫っているように思えてなりません。
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