HTTP/1.1 200 OK Date: Mon, 13 Aug 2012 00:21:17 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 作家の吉村昭さんは旧制中学の学生時代、こっそりと寄席に通…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 作家の吉村昭さんは旧制中学の学生時代、こっそりと寄席に通うのが楽しみだった。戦争は激化していたが、制服、制帽を駅に預け、東京・上野の鈴本演芸場の木戸をくぐる。昼席の客はまばらで年寄りが多かった▼ある日、噺(はなし)を終えた若い落語家が両手をついて、深く頭を下げた。「召集令状を頂戴いたしまして、明日出征ということになりました。拙い芸で長い間御贔屓(ひいき)にあずかり、心より御礼申し上げます」。客の年寄りたちからは「体に気をつけてな」「また、ここに戻ってこいよ」と声が掛かったという(『東京の戦争』)▼名だたる師匠連にとっても、厳寒の時代だった。日米開戦の直前、時局にふさわしくないと、廓(くるわ)噺など五十三の演目を自粛、浅草・本法寺の「はなし塚」に葬ったからだ▼「明烏(あけがらす)」「品川心中」「居残り佐平次」などの廓噺以外にも、間男が登場する噺などがやり玉に挙がった。古典落語の名作が多く、やむなく新作を演じる落語家が増えたという(小島貞二編著『禁演落語』)▼東京の寄席で焼け残ったのは一軒。師匠たちも家を焼かれ、疎開した。敗戦から一年、笑いを求める声が高まり、禁演落語は五年ぶりに復活。東京大空襲で本法寺の本堂は焼けたが、はなし塚は被災を免れた▼吉村さんの見た出征した落語家は、復員できたのだろうか。残念ながら、そこまでは書かれていない。

 

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