日本の女子レスリングは強かった。だが、女王と呼ばれる吉田沙保里選手でさえも、不安におののく日があった。若い皆さん、人知れず誰もが戦い続けている。忘れないで、笑顔と涙の背景を。
世界中の強豪が打倒吉田を目標に厳しい練習を積み重ね、攻略法を練って臨んだロンドン五輪。伝家の宝刀、高速タックルは、あらゆる角度から研究し尽くされていた。その上、三連覇の重圧は心身に重くのしかかる。
挫折があった。五月のW杯で四年ぶりに連勝記録が途切れ、タックルがもう通用しないのではないかと、泣いた。怖かった。
決勝戦。アテネ五輪以来のライバルは上半身を低くしてガードを固め、付け入るすきがないかに見えた。吉田は相手を鋭く観察し、時間を計り、残り三十秒で勇気を奮って猛然と飛び込んだ。
負けを知り、吉田もさらに進化した。相手のガードの上をいく、スピードと力を身につけていた。
伊調馨は、左足首靱帯(じんたい)切断の重傷だった。それでも表彰式では満面に笑みをたたえた。
北京五輪の試合でも、自力では歩けないほど足を痛めた。姉の千春さんが故郷の青森へ退き、目標を見失い、自身もふと引退を口にした。だが、愛知から東京へ拠点を移し、一人で自分を見つめ直して、新たな夢を見いだした。新しいレスリングスタイルを確立するという目標を。
小原日登美は、地獄を見た。51キロ級では六度も世界選手権を制覇した。だが、この階級は五輪にない。55キロ級では吉田に完敗だった。うつ病と診断された。
皆さんがもし、傷つき、悩み、迷っているのなら、表彰台の一番高い所で見せた三人の笑顔と涙を思い浮かべてもらいたい。彼女らが何を、どう乗り越えて、夢を追い続けたか。
選手たちは一人で戦うわけではない。小原には「人は何度でもやり直せる」と励ます父がいた。伊調には姉の声が届いていたという。寄り添ってくれる人たちが、皆さんにもきっと見つかるはずだ。
思い出してみよう。大物が務めるとの予想を打ち破り、次代を担う十代の無名の若者七人が一緒にともしたロンドン五輪の聖火。間もなく天に帰っていくのだろう。だけど、君たちの心の中では、いつまでも燃やし続けてほしい。いつまでも。
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