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大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。会員登録すると、過去50日間分の天声人語のほか、朝刊で声やオピニオンも読むことができます。
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いまの季節、暑中見舞いのはがきが職場に自宅にちらほら届く。賀状はたいてい印刷だが夏の便りは手書きが多く、読んではなごむ。わんぱく仲間だった幼なじみが、いつもながらの暑苦しい字で「涼風献上」と書いてよこしたりする▼漢字の文化はありがたいもので、「涼」の字を眺めるだけで、ふっと体感温度が下がる気になる。梅干しを見ると唾(つば)がわくのと同じ作用だろうか。納涼、涼気、夕涼み……この一字がなかったら、日本の夏はもっと暑いに違いない▼「涼味数題」という随筆を、物理学者の寺田寅彦が書いていた。「涼しさは瞬間の感覚である。持続すれば寒さに変わってしまう」と、言い得て妙だ。日本人の五感はかつて、ささやかな涼にずいぶん敏感だったらしい▼体ひとつで暑気に耐えるしかなかった時代である。涼を感じるセンスしだいで、夏は楽にも苦にもなったろう。ひるがえって今、スイッチひとつで人工冷気が部屋に満ちる。ありがたいが、そのぶん人の五感は鈍りがちだ▼〈一匙(ひとさじ)のアイスクリムや蘇(よみがえ)る〉の一句が子規にある。時は移っても、一瞬の涼に生き返るような心地が、暑い夏の幸福感なのは変わらない。炎暑に縁取られてこそ「涼」の字は冴(さ)える▼そろそろ夏休みという人もおられよう。寅彦先生はこうも言う。「義理人情の着物を脱ぎすて、毀誉褒貶(きよほうへん)の圏外へ飛び出せば、この世は涼しいにちがいない」。処世の術を忘れ、「いい人」をやめて、風に吹かれるにかぎる。遠くを眺めながら。