政府が二〇一二年度の経済財政白書を出した。東日本大震災の被災地の復興も、日本経済の成長についても、展望が開けない記述が目立つ。上滑りした言葉が、この国の行き詰まりを表している。
本年度の白書は、三章のうち一章を「震災からの復興」の分析に割いた。だが、力を注いだ割には、復興が遅れている被災地沿岸部の青写真がほとんど描かれていないのは、どういうことか。
白書は、巨大津波や原発事故の被害を受けた岩手、宮城、福島の被災三県の現状について、建設などの復興需要が強く、生産や消費などは、沿岸部を除いてほぼ震災前の水準に回復したとした。
しかし、喫緊の課題である沿岸部の復興では、被害が甚大であるとするだけで、工場や設備を失った企業の負債額や個人の借金について具体的な言及もない。
それどころか「沿岸部はある程度の取捨選択と集約化が適切」と、内陸部への産業や人材集積を重視すべきだと指摘した。津波浸水地の復興の方向性も示さず、経済的論理から人も企業も移るべきだという結論には違和感を覚えざるを得ない。
原発事故で風評被害や除染作業に追われる福島県の今後についても、白書はほとんど触れずじまいだ。今なお避難や仮設住宅住まいを強いられる被災者は数十万に上るが、その困窮ぶりはどこからも読み取ることはできない。
一方、日本経済の成長については「イノベーション(技術革新)」「人材集積」など上滑りな言葉が目につく。高齢化や人口減少に直面する中では、生産性を高めるイノベーションが必要だという。さらにイノベーションの重要な担い手は起業家であると説く。
だが、起業家が育っていないことは、今年五月の「成長戦略」の点検で政府自らが確認している。なぜ、これまでのベンチャー振興策が効果を上げられなかったのか、どのような分野なら起業は有望かなどの記述はなく、明らかに踏み込み不足だ。
成長そのものについても、「量」を追求するだけでなく「質」も目指すべきだとした。ただ、成長の「質」として何を重視するかは「今後の研究を待つしかない」というのでは、あまりに無責任ではないか。
これでは民間の自由な経済行動をしばりかねない。問われているのは、政府が目指す「成長観」であろう。
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