その退役軍人は、ひどい男だった。地主の代理人として、小作人から地代を集めるのが仕事だが、不作にあえぐ農民の生活を考えもしない▼餓死を恐れ農民は行動に出た。彼と一切の接触を絶ったのだ。小作人らは去り、村の店は取引を拒んだ。彼の方が餓死寸前に追い詰められ、降参。十九世紀末にアイルランドで起きた騒動で、彼の姓は世界中の辞書に載るようになった。その名はチャールズ・ボイコットだ(君塚直隆著『ヴィクトリア女王』)▼ボイコット氏は不名誉な形で英国史に名を刻んだが、きょう開幕するロンドン五輪組織委のセバスチャン・コー会長(55)は、ボイコットしなかったことで名をはせた▼一九八〇年のモスクワ五輪。ソ連のアフガン侵攻に対抗し米国は各国に五輪不参加を呼び掛けた。日本や西独などは追随。だが、英五輪委は「ソ連と貿易は続けるのに、五輪は不参加というのは偽善」と参加に踏み切る▼当時のサッチャー政権は有力選手らの切り崩しにかかり、脅迫もどきのことまでした。コー氏も圧力を受けたが、陸上1500メートルで金メダル。「あの時参加しなかったら、多くの国にロンドン五輪への支援を求めても説得力がなかっただろう」と英紙に語っている▼スポーツも政治と無縁ではいられないのが、現実だ。だが、せめて、五輪の辞書からボイコットという言葉が消えてほしい。