高度成長期、多摩川は「死の川」だった。生活排水が流入し堰(せき)には大量の泡が浮かぶ。油混じりの泡は風に乗って、鉄橋を通る電車の窓にべったり張りついた▼「釣ったアユを食べると、せっけんとシャンプーの香りがした」。多摩川が遊び場だった川崎河川漁業協同組合総代の山崎充哲(みつあき)さん(53)は当時を振り返る▼下水道のほぼ100%普及と下水処理施設の整備によって、十数年前から死の川は格段にきれいになった。再生の象徴が稚アユの遡上(そじょう)だ。今年は近年で最高の約千二百万匹と推測されている▼江戸時代、多摩川のアユは将軍への献上品だった。山崎さんは投網で捕った天然アユを一夜干しにして販売を始めた。水温が高くて傷みやすいので一手間をかける。これが評判を呼んだ▼卸先の川崎市生田のそば店「笙(しょう)」で天ぷらをいただいた。芳醇(ほうじゅん)な香りがする。干すことで味が深まったようだ。東京・日本橋の三越にも置かれ、お中元の時季にまとめ買いする人も多い▼稚アユが多すぎてエサの苔(こけ)が足りないのか、今年のアユは小ぶりだ。増えすぎて生態系のバランスが崩れることも気がかりだという。アロワナやピラニア…。捨てられた外来種が在来種を駆逐する「タマゾン川」でもある。飼えなくなった魚を引き取る「おさかなポスト」も創設した山崎さんは、よみがえったふるさとの川を今日も見つめている。