HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 37670 Content-Type: text/html ETag: "15b7a2f-1fdd-fa860880" Cache-Control: max-age=4 Expires: Thu, 19 Jul 2012 20:21:16 GMT Date: Thu, 19 Jul 2012 20:21:12 GMT Connection: close
朝日新聞の天声人語をもっと読む大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。
|
初めて日本にやってきたパンダ2頭のうち、メスのランランが1979(昭和54)年に死んだ。大勢が涙する中、誰より悲しんだのは中川志郎さんだったろう。来日時の上野動物園の飼育リーダーは、つらくて解剖に立ち会うことができなかった▼何日かして、「約束守ってくれたんだね」という文を本紙に寄せている。その年の正月、パンダ舎で、「ことしは赤ちゃんを産もうな」と「約束」をかわしたそうだ。約束どおりランランは身ごもったが、おなかの子と一緒に息絶えた。「悲しみの二乗」だったに違いない▼親しみをこめて「パンダ課長」と呼ばれ、のちに多摩動物公園や上野の園長も務めた中川さんが、81歳で亡くなった。少年の頃から生きものが大好きで、一筋に動物たちと人生を歩んできた人だ▼獣医科を出て、上野動物園には「押しかけ就職」だった。園長に頼み込んで、日給230円のアルバイトで入った。下積み5年ののちに正職員になったというから、情熱のほどが伝わってくる▼20年ほど前のこと、「ロンドン動物園が赤字で閉鎖の危機」という本紙報道にいちはやく反応してくださった。黒柳徹子さんと寄付を呼びかけ、お金を送った。それも力となって、幸い動物園は存続し、処分の可能性もあった動物たちは命をつないだ▼スターの動物にも脇役にも、注ぐ愛情は変わらなかった。お世話になった大勢が、あちらで迎えることだろう。ランラン、カンカンも待っていよう。思い出話は尽きそうにない。