借りてきた自転車で湖畔を駆けると、吹き抜けてゆく風が心地よい。初めて耳にする鳥のさえずりが、あちこちから耳に飛び込んでくる。ラムサール条約に登録された渡良瀬遊水地は「野鳥の楽園」だった▼四県の四市二町に接する三千三百ヘクタールは、山手線の内側のほぼ半分の面積。本州以南で最大の湿原を見渡すと、高い建物はほとんど視界に入らない▼貯水池(谷中湖)の北側に、村人が強制移住させられた旧谷中村の遺跡があった。共同墓地や神社、屋敷の跡…。洪水が肥沃(ひよく)な土壌を運び、肥料を必要としない豊かな土地は、渡良瀬川上流の足尾銅山の鉱毒によって「死の沼」になった▼明治政府は、衆院議員だった田中正造や村民が求めた銅山の操業停止を拒否。鉱毒の沈殿池がつくられることになった村は一九〇六年に廃村になり、村人はわずかな補償で追い出された▼議員を辞し、村に移り住んだ正造は、家屋が強制的に壊された後も村にとどまる。<赤貧の洗うが如(ごと)き心もて無一物こそ富というなれ>。鉱毒反対運動で資産を使い果たした正造を支えたのは旧村民たちだったという▼春の風物詩のヨシ焼きは遊水地の生態系の維持に欠かせないが、やはり国策だった原発の事故で二年続けて中止に。日本の公害の「原点」である旧谷中村の遺跡の前に立つと、歴史から学ばない愚かさを叱られている気持ちになる。