子どものころの記憶は、写さなかった写真のようなものである、と向田邦子さんがエッセーに書いている。<普段はどこにどう仕舞(しま)ってあるのか見当もつかないのだが、ふとしたはずみで焦点が合うと、ポラロイド・カメラのように瞬間に現像焼付がされて目の裏に一枚ずつ出てくる>▼楽しいことも、悲しいことも、何かのきっかけで同じ引き出しから飛び出してくる。封じ込めたい記憶も同じだろう▼陰湿ないじめを受けた経験がある人なら分かるはずだ。いじめ自殺のニュースに接すると、何十年も前の出来事であっても、さまざまな場面が写真のようによみがえり、金縛りのような感覚に襲われることを▼大津市で昨年秋、中学二年生の男子生徒が自らの命を絶った。市教委は在校生へのアンケートで寄せられた情報の多くを公表せずわずか三週間で調査を打ち切った。中には、「自殺の練習」をさせられていたという情報もあった▼東京都中野区で二十六年前、自殺した中学二年の男子生徒が、いじめグループに強要された「葬式ごっこ」を思い出した。「さようなら」と書いた色紙には級友だけでなく、担任教師らも寄せ書きをしていた▼踏みつけた者は忘れても踏みにじられた記憶は消えない。いじめに遭っている子どもは、家族には自分の弱さを隠そうとする。周囲にいる誰かが、心の叫びに気付くしかない。