HTTP/1.1 200 OK Date: Tue, 19 Jun 2012 21:21:08 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:幼児の脳死移植 立ち止まって考えたい:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

幼児の脳死移植 立ち止まって考えたい

 六歳未満児の脳死による臓器移植が行われた。悲しみの中で提供を決断した両親の思いと移植しか治療法のない人の苦しさを受け止めながら、なお立ち止まって考えたいことがある。

 六歳未満の男児が、臓器提供のために初めて法的に脳死と判定された。心臓と肝臓はそれぞれ十歳未満児に、腎臓は六十代女性に移植された。

 わが子の悲劇に深い悲しみを抱えながら、脳死を受け入れ提供を決断した両親の思いを重く受け止めたい。

 一九九七年に施行された臓器移植法は脳死からの臓器提供には書面による本人の意思表示が必要で、十五歳以上に限られていた。

 臓器移植を進めるため二〇一〇年施行の改正法では、意思表示がなくても家族の承諾があれば脳死からの臓器提供が可能になった。年齢制限もなくなった。

 この二年で十五歳以上の提供は八十九例と改正前より増えた。十五歳未満は昨年に続き二例目だ。

 日本臓器移植ネットワークによると十五歳未満で移植を待つ患者は七十九人いる。移植しか回復を望めない患者や家族の事情を考えれば命のリレーの意義は大きい。

 一方で、脳死を人の死とすることに心の引っかかりが消えない人も少なくない。脳死では患者は温かいし心臓は鼓動している。

 この問題は宗教観にもかかわり、医療での尊厳死や安楽死という問題にもつながる。

 本人の意思表示なしの提供は、自己決定権がないがしろにされないか不安が残る。六歳未満児は提供への意思を形成しているとは考えにくく違和感がぬぐえない。

 同時に本人に代わり決断する家族の心理的負担も大きい。提供を決めて初めて脳死判定に入るため生の終わりを家族が決めることにもなりハードルは高い。医師もどう移植を切り出すか悩んでいる。

 脳死による臓器移植をどう受け止めるか、一人一人が考えるしかない。それには情報が必要だが、十分とはいえない。

 治療は尽くされたのか、医師と移植ネットはどう患者・家族と接したのか、家族が決断したりみとる十分な時間はあったか、その後の家族へのケアの実態はどうか。昨年の十五歳未満のケースについても知りたいことは多くある。年齢すら公表しないのでは、問題を自分のこととしてなかなか受け止められないのではないか。

 こうした情報なしにこの問題と向き合うことはできない。

 

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