「見てしまった責任みたいなものを背負ってしまった」。白血病で亡くなった医師の原田正純さんは、水俣病研究に人生を捧(ささ)げた理由を『水俣病の五十年』に寄稿している▼初めて水俣市を訪れた半世紀前、水俣病は終わったと信じられていた。患者は雨戸を閉め、息をひそめていた。調査に訪ねると、マスコミがまた書き立てて、世間が思い出すと迷惑がった▼見舞金はわずか。生計の立たない患者の家は傾いていた。罪のない人たちが地獄のような苦しみに耐える姿に怒りが燃えた大学院生は、「見てしまった責任」を課し、現地に通い始める▼「行政は自分らに都合が良い学者だけを重用する。僕は何十年も水俣病患者を診てきているけれど、一度も行政の委員会に呼ばれたことはない」。原田さんは昨年、本紙の取材に語っていた▼通産省(当時)は「水俣病の原因は水銀ではない」という論文を御用学者に書かせ、化学工業界と結託して公害企業を守ろうとした。経産省と電力会社、原子力の専門家が一体となって原発を推進してきた原子力ムラの姿と酷似している▼ちょうど一年前、イタリアでは原発再開の是非を問う国民投票で反対派が圧勝した。事故を起こした国の政府は「見えないふり」をして再稼働を急いでいる。危険が明らかになった今、見てしまった責任を原田さんに問われているような気がする。