HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 10 Jun 2012 20:21:09 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 映画で見よう地域の力:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 映画で見よう地域の力

 一本のドキュメンタリー映画を見て地域のありようについて考えさせられました。忘れられたり捨て去られた記録を残す力と大切さはいうに及ばずです。

 映画が始まって間もなく気づきました。入れ代わり立ち代わりスクリーンに現れるお年寄りやボランティア、患者らの表情が和やかです。しぐさが豊かで、生き生きとしているのです。

 一人ひとりの、この笑顔こそ、プロデューサー武重邦夫さん(73)を、この作品づくりにかりたてた動機といっていいでしょう。

 「だんらんにっぽん 愛知・南医療生協の奇跡」。映画のタイトルです。

 一九五九年、五千人余の犠牲者を出した伊勢湾台風。名古屋市南区辺りもひどい被害でした。住民は支え合い地域の活力を取り戻していきます。その「歩みと今」を収めたドキュメンタリーです。

 武重さんは早稲田大学で劇団に入ったのが縁で、のちに今村昌平監督に師事し、映画製作の道に。「楢山節考」などで助監督を務めるなど、数多くの仕事をともにしました。

 「文化や伝統、暮らし…私たちの社会が捨て去ったり、置き去りにし、地方にかろうじて残っているものから、次代に残せる希望を掘り起こしたい」。劇映画ひとすじだった彼に思いが募り、ドキュメンタリーを撮り始めたのが十五年ほど前からでした。

 新潟県の中越地震を扱った「1000年の山古志」をはじめ、小池征人監督と組んだ「葦牙(あしかび)」「いのちの作法」など、児童虐待や人間の命の尊厳について岩手県など地方を舞台に十作近い地域の記録映画をつくってきました。

◆みんなが違っていい

 それは「日本の可能性再発見」の映画製作です。関心は、もっぱら地方に向きがちでした。武重さんは名古屋の生まれです。ですから彼にとっては出身地の、それも大都市に「次代に残す希望」を見つけたことは衝撃ともいえる喜びだったと推察します。

 映画となる愛知・南医療生協の合言葉は、こうです。「みんなちがってみんないい。ひとりひとりの、いのち輝くまちづくり」

 伊勢湾台風の後、医師や救護活動にたずさわった人たち三百八人が資金を出し合い「命と安心を守ろう」と生協をつくります。たった七坪の土蔵を改良した診療所がすべての始まりでした。五十年すぎた今、三百八人の組合員は六万人を抱える大集団に。七坪で始まった診療所はりっぱな総合病院に生まれ変わりました。

 巨大組織になっても会員たちは自らの言葉で自由にものを言い、主張します。なにより個人の尊厳を大切にする。六万人もいるのに一人ひとりの顔が見える。個人が自立した共同体なのです。総合病院も「みんなが違う」思いを出し合いながら、合意を見つけ出して出来上がったのです。

 集団より個人を優先し、地域医療から始まって、やがて街づくりにまで発展した愛知・南医療生協には、国の事情が似通った韓国からも視察に来たといいます。

 撮影には約二年をかけ、住み込んだスタッフもいます。カメラは丹念に、時にお年寄りに撮影をわざと意識させ、時にボランティアや患者と同じ目線で追いました。

 戦後の日本は効率や繁栄に価値を求めすぎた。武重さんら製作スタッフの共通した思いでしょう。そうではなく、個人が輝き、支え合う「だんらん」社会が、次代への希望の一つになると信じて。

 「水俣 患者さんとその世界」や、ひきこもりの問題に向き合った作品など優れたドキュメンタリーは次々に製作されています。

◆増えている「宝の山」

 昨年、劇場公開された邦画の六分の一弱がドキュメンタリー映画だったそうです。意外と多いのに驚かされます。ノンフィクションの分野で、映画という手法は、本などが個人の作品なのに対して、共同作業の結実というところに魅力があるともいえます。

 ただ、それで映画に追い風が吹いているかというと、入場者数や興行収入で実は苦戦しています。

 「多くの人に見てもらわないと意味がない」と武重さんも話し、英語版までつくりました。

 貴重な記録や発見を伝えている作品、宝の山は、ほかにも数多くあるのではないでしょうか。

 

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