「あなたは理想主義者か現実主義者か、と聞かれると、いつもこう答えるのよ」と、以前、米国務長官だったオルブライトさんは、あるインタビューで語っている。「理想主義的現実主義者、もしくは、現実主義的理想主義者です、と」▼関西の首長たちの“豹変(ひょうへん)”を見て何となく思い出した次第。関電・大飯原発(福井県)3、4号機の再稼働について、反対していたはずの関西広域連合が、事実上の容認に転じた▼政府が再稼働方針を決めた時、「政権を倒す」とまで息巻いていた橋下大阪市長も、である。首長らはこのままだと15%の節電を強いられるという現実を突きつけられ、「再稼働認めず」という理想を引っ込めたわけだ▼それにしても、これを潮にすっかり、近々にも首相が再稼働決断という空気になっているのには暗澹(あんたん)となる。既に国民の信を失った政府機関が安全評価にOKを出しただけのことで、新たな規制庁の発足もまだなら、後回しにされた安全対策も多い▼蓋(けだ)し、電力不足という現実は“難敵”だが、解せないのは首相の無抵抗ぶり。現実と切り結びつつ、原発に依存しない社会という理想に向かう工程表を描くのが先決のはずではないか▼それもなく「とりあえず再稼働」とは、ただ、手もなく現実に負けるということ。それは理想主義でないのは無論、現実主義でさえない。敗北主義である。