アラブの春で目をみはったことがあります。民衆の非暴力の抵抗です。弾圧下のシリアでは今も続いています。世界は非暴力の民を助けねばなりません。
シリアには、今のアサド大統領ではなく、その前の父親のハフェズ・アサド大統領の時代に訪ねたことがありました。父のアサド氏は中東一の策略家と呼ばれるほどの外交上手でしたが、国内では違う顔をもっていました。
山には大統領官邸があり、カメラを向けただけで、たくさんの私服警官が飛び出してくるというのです。要するに監視国家です。
◆弾圧国家の民衆デモ
父アサド氏はある日、反体制派の活動家多数を刑務所から砂漠へ解放したといいます。しかし直後に射殺させる。自分への暗殺未遂事件のみせしめです。
そういう恐ろしい国で、非暴力の反体制デモが繰り広げられたことに多くの学者、ジャーナリストらは驚きました。父アサド氏の時代には死者数万人といわれる虐殺があり、徹底した弾圧が予想されたからです。
元空軍パイロットのアサド氏はイスラム教アラウィ派の出身。シーア派の分派でシリアの土着信仰を合わせた少数派です。地中海に近い山地に住みます。多数派のスンニ派住民は肥沃(ひよく)な三日月地帯の一部である平地に多くが住みます。
それがどうして争うようになったか。フランスの委任統治時代にさかのぼります。政策は分割して統治せよ、です。アラウィ派には山地の自治権を与えて操縦する。多数派のスンニ派住民を治安監視させたのです。スンニ派はおもしろくない。そこで時に言い分を聞く。対立を使って支配を強めたわけです。争いの根源です。
◆シリアに潜む深い溝
フランスの去った後、アラウィ派は軍部を占め、政権を奪取します。ダマスカスの商人富裕層や少数のキリスト教徒らは政権側につきました。
国内の深い溝は、スンニ派に政治的不満を募らせ、貧富の差も広がりました。
それらを振り返れば、アラブの春が火をつけた民衆デモは、殺すか殺されるかといった激しい流血すら十分予期させもしたのです。
だが、同時に非暴力デモの意味を深く考えざるをえません。非暴力を貫くと言った反政府運動リーダーもいます。
たとえばエジプトのデモを思い出してください。武器をもたない若者たちが広場で警官にこん棒で打ちすえられていました。装甲車両が出てきてデモ隊に発砲したこともありました。数百人が犠牲になりました。
しかしそれら非暴力の抵抗は諸外国のテレビに生々しく映し出され、世界中の新聞には多数の写真が載り、記事は民衆の声をあますところなく伝えました。
世界の人がそこに見たものは、支配者の不正義が暴力という形で露呈されたことと、支配される側の圧倒的な倫理的優位性でした。
暴力でなく非暴力だから、不正と正義が鮮やかに映し出されたのです。それはインドのガンジーの非暴力の教えそのものです。非暴力の強さとは、敵の心ですら揺さぶって、自発的に内面を変えてゆくことなのです。
非暴力の一番いいところは、対立の根を残さないことです。血を血で償わせる暴力の連鎖を断つのです。エジプトでは、小さな衝突はあったもののついに大統領選にこぎつけました。民衆は投票所に列をなしたのです。
シリアの場合、恐ろしい状況は一年を経てなお続いています。反体制側の大方は非暴力を保っていますが、分裂状態のうえ、湾岸産油国からは武器提供の申し出もありました。
しかし、ここは非暴力で踏みとどまってほしい。第一に内戦は対話の機会を奪う。第二にテロをまん延させる。第三にシーア派とスンニ派の千年来の宗派対立に火をつけかねない。中東全体が不安定になってしまうのです。何もよいことはないのです。
◆世界の関心絶やさず
国連は停戦監視団をようやく出しましたが、参加国も人員ももっと増やさねばなりません。外部の目が入れば入るほど、非暴力の力は強くなるからです。しかし力の差はあまりに大きすぎます。国際社会は結束して対話と政権移行とを求めねばなりません。
非暴力とは暴力よりもはるかにむずかしい選択です。シリア市民の勇気には世界が感服しています。非暴力こそが真の平和に近づく正しい道なのです。だから報道はよく伝え、私たちは関心を絶やしてはならないのです。
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