HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 36061 Content-Type: text/html ETag: "ab6d3d-22e1-b9d79100" Cache-Control: max-age=1 Expires: Tue, 29 May 2012 00:21:12 GMT Date: Tue, 29 May 2012 00:21:11 GMT Connection: close
朝日新聞の天声人語をもっと読む大学入試問題に非常に多くつかわれる朝日新聞の天声人語。読んだり書きうつしたりすることで、国語や小論文に必要な論理性を身につけることが出来ます。
|
吉田秀和さんは9年前に妻のバルバラさんを喪(うしな)った。悲しみは深く、心の空白を埋められないまま本紙連載「音楽展望」も休筆が続いた。「黄泉(よみ)の国に行って妻を連れ戻せればと、本当に思う」――本紙に語った悲痛に胸を突かれたものだ▼奥さんは日本文学を研究し、死の床で永井荷風をドイツ語に訳していた。吉田さんは遺作を本に編み、やがて深い痛手から立ち直る。「やっとまた身体に暖かいものが流れだし、音楽がきこえてきた感じ」と、3年後に再開した「音楽展望」に書いている▼幾多の音楽評論は、それ自体が音楽を聴いているような名文でつづられた。一編一編を読みながら、勘所(かんどころ)にすっとおりていく刃を見るような快感があった。しかも森羅万象への知見が深かった▼音楽という芸術の深淵(しんえん)には、なかなか触れにくい。だが吉田さんは、音楽の奥庭に咲く花を、そっと剪(き)って素人にも手渡してくれた。ご本人のめざした「想像力の引き出し役になる批評」に魅せられた人は、わが周囲にも少なくない▼世界屈指のピアニストだったホロビッツの来日公演を「ひびの入った骨董品(こっとうひん)」と評したのはよく知られる。一方、奇人扱いされていたピアニスト、グールドの天才を早くから買っていた。権威に曇らぬ批評眼のゆえだったろう▼昔のエッセーに、妻の祖国ドイツの詩句を引いていた。〈眼をとじてみたまえ その時、きみに見えるもの きみのものはそれだ〉。享年98。閉じた目の内に何を見て、旅立たれただろう。