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2012年5月29日(火)付

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原発の比率―「早期ゼロ」を支持する

国の新しいエネルギー基本計画をめぐって、経済産業省の審議会が選択肢をまとめた。原発事故を受けて、2030年時点の電源構成をどのように描くか。原発の比率を軸に、ゼロから現[記事全文]

吉田秀和さん―言葉の力を教えられた

本紙で40年にわたり「音楽展望」を書き続けた吉田秀和さんが、98歳で亡くなった。柔らかい言葉を使いつつ、精密な分析と確固たる自分の見方によって、評論が一つの作品となるよ[記事全文]

原発の比率―「早期ゼロ」を支持する

 国の新しいエネルギー基本計画をめぐって、経済産業省の審議会が選択肢をまとめた。

 原発事故を受けて、2030年時点の電源構成をどのように描くか。原発の比率を軸に、ゼロから現行水準の維持まで四つの案を示した。

 私たちは、できるだけ早く原発をなくし、省エネと自然エネルギーを推進しつつ、当面は火力発電を活用していく案を支持する。

 議論の舞台となったのは、総合資源エネルギー調査会の基本問題委員会だ。昨年10月の発足以来、25回の会合を重ねたが、運営のまずさも手伝って、原発推進派と脱原発派の主張がかみ合わなかったのは残念だ。

 すでに野田首相は原発依存度をできるだけ減らしていく方針を示している。原発の割合を35%に増やす案は外れたが、いまの水準に近い20〜25%とする案も不適当だ。

 30年時点で原発を15%とする案もわかりにくい。

 政府の方針に沿って、運転開始から40年たった原発を廃炉にしていった場合の数字だが、その先、原発をゼロにするのか一定比率を維持するのか、28日の会合でも分類の仕方をめぐって紛糾した。

 委員間で方向性の異なる考えを数字あわせで無理にまとめようとしたためだ。

 今回の選択肢は、政府の「エネルギー・環境会議」が引き取り、原子力大綱の見直しや温暖化対策と組み合わせて複数の案を示す。「国民的議論」を経て今夏に政権として一つを選び、新しいエネルギー政策を打ち出す予定だ。

 政府は使用済み核燃料の処理方法や火力発電の増加に伴う二酸化炭素(CO2)対策など、原発を減らしていく過程で生じる問題を整理し、国民にわかりやすく示す必要がある。中途半端な15%案の位置づけも明確にしなければならない。

 選択肢に含まれた「数値目標を定めない」案は、最終的に市場の選択に委ねる考え方だ。

 安全規制の徹底や事故時の賠償に備える費用、これまで国が肩代わりしてきた立地経費など原発にかかるコストをきちんと「見える化」し、電力会社に負担させることが前提になっている。数値目標を定める場合でも不可欠の視点だ。

 原発・エネルギー政策では、政府への不信と疑念が広がっている。どんなスピードで、どのような基準に従って原発を閉じていくか。ていねいな説明と議論を経て、脱原発の道を確かなものにしなければならない。

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吉田秀和さん―言葉の力を教えられた

 本紙で40年にわたり「音楽展望」を書き続けた吉田秀和さんが、98歳で亡くなった。

 柔らかい言葉を使いつつ、精密な分析と確固たる自分の見方によって、評論が一つの作品となるような道を開いた。

 それをなしえたのは、古今東西の教養に基づき、自由に、公平に、考えようとしたからだ。「展望」と名乗ったのも、広く見渡そうという意志だった。

 でも、読者はお気づきのように、吉田さんが批評するのは、クラシック音楽にとどまらなかった。美術はもちろん、宝塚やファッション、政治や事件、そして大好きな相撲まで、自由自在だった。

 若いときから中原中也や大岡昇平らと交遊し、一方で、小澤征爾さんや中村紘子さんらを育てた人でもあった。

 1990年度の朝日賞に決まったとき、吉田さんは「芸術が様々に分化していても、根底には感動を呼ぶ共通の源が厳然と存在すると思う」と話した。

 時代を広く見渡し、根源を問い続けていた。

 思えば、3月に亡くなった吉本隆明さんも立場は異なるものの、文学や政治、サブカルチャーまでを幅広く論じた。2008年に亡くなった加藤周一さんも「知の巨人」と呼ぶのにふさわしい存在だった。

 戦後社会で常に「自由」に価値を置き、世評におもねることなく、自分で考え、自分の言葉で語ろうとした人たちだ。

 知の巨人に続く世代は、どうあるべきか。

 芸術も産業も、技術は高度になった。だが、そこを論じるだけでは足りない。考える領域を広げ、知る喜びを伝える案内人の役割が、ますます重い。

 ネット社会が広がるほど、文化も、社会に関わる情報も、様々な境界を越える。現代的なやり方で、分野をこえて根源を問い、自分の言葉で考える努力を先人たちにならいたい。

 言葉にしにくい音楽に向き合ってきた吉田さんは「どんなことでも言葉にできる、という信念が僕にはあります」と語っている。別の機会には「音楽が聴こえてくるような文章を書きたい」とも。

 この、言葉への信頼。

 芸術や社会現象を歴史の中に位置づけ、それを体験した人には説得力のある見方を示し、そうでない人には疑似体験できるようにする。そんな評論を分かりやすい言葉でなしてきた。

 新しい「音楽展望」を読むことはもうできない。しかし吉田さんが残した問いを立て続けることは、私たちにできる。

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