走り出てきた男性弁護士は、歯をかみしめ、顔を強(こわ)ばらせている。報道陣に差し出す「不当決定」の幕を持つ手が震えているように見えた▼半世紀以上も前の一九六一年、三重県名張市で女性五人が死亡した名張毒ぶどう酒事件。名古屋高裁は昨日、奥西勝死刑囚の再審開始を認めないとの決定を下した▼怒りと落胆、疲労感がないまぜになったような弁護団や支援者の反応を見て、思い浮かべたのは、ギリシャ神話の故事、<シシュフォスの石>。大石をやっと山頂まで運んだかと思うと、その石はまた転がり落ちてしまう…▼地裁で無罪、高裁では死刑、最高裁の上告棄却で死刑確定後、七三年に始まった再審請求だ。七次にわたる請求で、高裁は二〇〇五年に再審開始を決定したが、翌年、同じ高裁が取り消し。だが、次には高裁の取り消し決定を、最高裁が差し戻した。その結果が昨日の決定▼「強要された」として起訴前段階で自白を翻して以後の無実の訴えは、司法判断の揺らぎに翻弄(ほんろう)され続けてきた。さればこそ、本人にも支援者らにも「今度こそ」の思いは一入(ひとしお)だったはず。だが、石は、また転がり落ちた▼使われた毒物をめぐる今回の認定は、検察側に有罪証明を、というより、被告側に無罪証明を求めているようで違和感が強い。奥西死刑囚、既に八十六歳。運ぶべき大石は、むごいほどに重さを増した。