「まるでギリシャ語のようだ」と英語で言うと、不可解、という意味になるそうです。昨今のギリシャ情勢は、欧州分断の芽をも孕(はら)んでいます。
現代ギリシャの通史を描いた著書が評判の法政大学講師、村田奈々子さんの講演を伺う機会がありました。
ギリシャの政治的混迷が収まらない。西欧文明の源泉であり、民主政治の発祥地であるギリシャで、欧州の自傷行為とも映る政治劇が繰り返されるのはなぜか−。
◆古代と現代を結ぶ線
私たちが往々にして抱きがちなこうした問い自体に、実は現代ギリシャと昔日のギリシャを直接つなげてしまう思い込みがあるのではないか。その示唆に富む講演を聞いて、ギリシャ人のアイデンティティーの半分はもともと西欧にはなかったことにあらためて気が付かされました。
現代ギリシャ人がアイデンティティーを求める対象として二つの歴史的源泉がある、と村田さんは指摘します。古代ギリシャと中世のビザンチン帝国(東ローマ帝国)です。人類普遍の文明を生んだ栄光の歴史と、ビザンチン帝国を築きながらオスマントルコに支配された屈辱の歴史といえます。
古代ギリシャ哲学や文学は私たちになじみ深いものですが、その精華は直線で現代の西欧に結び付いているわけではありません。西ローマ帝国が滅亡した後、東ローマ帝国に継承されたものが、いったんイスラム圏に受容され、さらに十字軍を経て再発見される、という遠大な過程を経ています。
この間、蛮族に脅かされた西欧は長く「文化果つる辺境地」でした。西欧的価値観の淵源(えんげん)とされるギリシャ古典が、イスラム圏を経由して西欧に伝えられたことは、キリスト教とイスラム教の関係に今も深い陰翳(いんえい)を刻んでいます。
◆ギリシャの欧州愛憎
中世ギリシャ人のアイデンティティーを担ったのはギリシャ正教でした。ギリシャ正教を主とする東方正教会ほど日本人になじみの薄いものもないでしょう。
オーストリアのカトリック修道院で、ギリシャ正教の神秘的な側面を象徴するとされるヘシカスム(静寂主義)研究をしていた司祭に話を伺ったことがあります。
「徹底した沈黙を通して心の静寂を得る静寂主義の思想には、仏教に通じるものを強く感じます。特に禅との共通点を感じざるをえません」。意外な説明は、もともとキリスト教がオリエント地域の宗教であることを想起させてくれるものでした。
日本における東方正教会である日本ハリストス正教会の司祭、高橋保行さんは、その著書「ギリシャ正教」で、「キリスト教は西欧が源泉、という考えは西欧の錯誤だ」と記しています。
東方正教会からすれば、キリスト教やギリシャ古典は、コンスタンチノープル(現イスタンブール)が首都であったビザンチン帝国こそ嫡流なのであって、西欧は後になって自身の権威付けのためにそれを借用した、という論理になるというのです。
ギリシャは十九世紀になってようやく独立しましたが、その近代国家としての歩みは過去の栄光とは程遠く、欧州の周縁にあってロシアやトルコなど周辺大国との緩衝国家として翻弄(ほんろう)され続けるものでした。第二次大戦で被ったナチスによる侵略もその一例といえるでしょう。
現代ギリシャが西欧に抱く愛憎半ばする心情は、欧州の基層を担いながら、二級市民のような視線に晒(さら)される東欧やバルカン諸国の悲哀に通じるものがあります。
古代、中世ギリシャ研究に比べ近現代ギリシャを研究する専門家は極めて少ないそうです。そのせいもあるでしょう、ギリシャ危機が語られるのは経済的文脈、それも、国際基準となっている英語圏主流のマクロ経済の文脈に沿ったものが専らです。
この文脈で語られることに甘んじる限り、現代ギリシャは「支援に甘える欧州の依存症患者」というイメージから免れそうにありません。
◆限られている選択肢
ギリシャ政局は再三の連立交渉も虚(むな)しく、結局再選挙という結果になりました。「これ以上の緊縮策は御免だ。でもユーロ圏離脱もやっぱり、いや」。国際社会、金融市場を困惑させるその民意を文字通り通そうと望むのなら、選択肢は限られています。
ギリシャを含むバルカン地方から西欧に向かうことを、かつて「ヨーロッパにいく」と言ったそうです。すでに欧州の真っただ中に回帰しているギリシャです。統合欧州とともにギリシャ次世代のアイデンティティーを模索していく道こそ、欧州の知恵ではないか、と思えてなりません。
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