ホテル火災で七人が犠牲になった。過去の防災査察では五回も不適格とされていた。経営者の責任はもちろん重大だが、行政側もよく省みてほしい。日本の安全のたがは、緩んではいないか。
「廊下は迷路のようで薄暗く、窓は板でふさがれていた」。火災直前に、広島県福山市のホテルに宿泊した人の話だという。増築を重ねた複雑な構造は、避難誘導や消火の妨げになった。
宿泊客の命を預かる施設であるというホテル側の意識の低さが、何よりも問題だ。
昨年九月の建築基準法に基づく市の防災査察で、非常用照明や排煙設備など安全な避難経路を確保する八つの点検項目のうち五つが、今の法律には適合しないと指摘された。
一九八七年以降、少なくとも五回不備を指摘された。確かに建築当時は適法だった。だが、こうした不備を何度も指摘されながら、経営者は「経営が苦しく、設備投資は難しい」と言って、改善しなかった。命を預かるホテル業者として職業倫理に欠けるし、防火管理の意識が低すぎる。
監督する側もおざなりだ。市は改善報告を求めただけで、最後まで確認しなかった。「違法ではないため、改善の強制力がない」と釈明するが、二〇〇二年の改正消防法で、施設への立ち入り検査の権限が強化されるなど、防火管理を強めるのが社会的な流れだ。法のカベを理由にせず、積極的に動いてほしかった。それも自分の職務に対する誠実さである。
火災を受け、消防庁は全国の消防本部に、過去に違反を指摘した施設の改善状況を確認するよう求めた。悪質な場合は改善命令を出すなど指導を徹底してほしい。
重大事故が発生した際には、その前に多くの「ヒヤリ・ハット」が潜んでいるという。安全を守るには、ヒヤリとした経験を見過ごさぬことである。大切なのは、その時に、危険に備える意識を持ち、行動に移せるかどうかだ。
安全のためにはお金がいる。そのお金を出すには、人の命を預かっているという自覚がいる。ヒヤリはそのきっかけになる。安全への意識の持ちようは、先月の高速バス事故などにも、大きく言えば、原発事故にも通じる。備える意識が必要なのは規模の大小を問わない。
ホテルはインターネットで格安をうたい集客していた。不況が続く中、廉価はありがたい。それも、安全があってこそである。
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