HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 48919 Content-Type: text/html ETag: "f84b6-13af-4bf4c59a50b90" Expires: Sun, 06 May 2012 02:21:15 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Sun, 06 May 2012 02:21:15 GMT Connection: close 5月6日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)




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5月6日付 編集手帳

 豊山、清国、大麒麟、大受、魁傑――懐かしい()股名(こな)が並ぶ。江戸勧進相撲発祥の地、東京・深川にある富岡八幡宮の鳥居をくぐるとすぐ、右に立つのが「大関力士碑」だ◆無論いずれも名だたる力士ながら、刻まれるのは綱に手の届かなかった大関である。さらに奥へ進むと本殿の脇に、ずっと大きな「横綱力士碑」があった。両碑の距離は100メートルほどだが案外遠い◆頑強な体と才能に恵まれた上に、並の百倍も努力を積んで、ようやく一握りの力士のみたどり着けるのが大関の座である。そこから先は、おそらく人知を超えた要素が絡む。横綱碑までの距離が長く思える理由だろう◆きょうから夏場所。東西合わせて6人も大関がそろうのは、大相撲の歴史で初めてという。この中から奥の碑に名を刻む者が出るか。一人横綱を張り続ける白鵬以来、刻名式近しの期待は高まる◆現実には6大関の大半あるいは全員が、綱をつかめぬまま土俵を去り、手前の碑に名前を連ねるのかもしれない。それもまた大相撲のドラマであり、()る人の胸に何かを残すだろう。横綱碑よりも大関碑の前で長くたたずむ人がいる。

2012年5月6日01時15分  読売新聞)

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