日本の登山史上、最大級の遭難といわれるのは、五十年前に大雪山で北海道学芸大函館分校の山岳部が合宿中に遭難した事故だ。部員十人が死亡、生還したのはリーダー一人だった▼長年の沈黙を破った当時のリーダー野呂幸司さんを取材した川嶋康男さんの『いのちの代償』は、強烈な吹雪の中、疲弊して倒れていく部員の姿や遺体発見の状況、遺族の苦しみを再現し、事故の全貌を伝えている▼「おれは死ぬまで“黒い十字架”を背負って生きなければならないと覚悟しているよ。棺桶(かんおけ)に身体を入れられるまでな」と野呂さんは、重い代償を一生引き受ける覚悟を告白していた▼北アルプスできのう、中高年登山者の遭難が相次ぎ、六、七十代の男女八人が亡くなった。白馬岳の近くで死亡した男性六人は、全員軽装で防寒具は身に着けていなかった▼春山の優しい顔は一瞬で鬼の形相に変わった。悠々自適の世代が、体温を奪われ、折り重なるように倒れてゆく姿を想像するのはつらい。なぜ軽装で登ったのだろうか▼中高年世代の登山ブームを反映し、一昨年の遭難者は五十五歳以上が全体の六割近くを占めた。二〇〇九年夏、大雪山系で起きた遭難事故で、中高年ら八人が亡くなった時、野呂さんは「以前から問題はあったはずで、起こるべくして起こったことだろう」と語っていた。もう悲劇を繰り返したくない。