この国は狭いとはいっても、やはり季の移ろいには、土地によって結構なずれがある。既に散り果てた桜も多いけれど、例えば、東北は福島県富岡町の桜はこれからが見ごろという▼「夜の森公園」の桜の写真や映像は最近、新聞、テレビで見た人も多かろう。咲き誇る花の下に、しかし、人のざわめきはまるでない。そこは、福島第一原発からほど近く、立ち入りが禁止された警戒区域だ▼町民一万五千人は事故後、避難を余儀なくされている。町は、「せめて、メディアを通じて故郷の桜を見てもらいたい」と、報道陣の立ち入り取材を許したのだと聞く▼吉田兼好は『徒然草』で、桜の愛(め)で方に関し、こんな見解を披歴している。<春は家を立ち去らでも…思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ>。出掛けずに家にいて、心に桜を思い描く。それこそ興趣が深い、と▼でも、それは、見に行けるのにあえて行かないからこその興趣である。富岡町の人たちは違う。行きたいのに行けない。帰りたいのに帰れない。心ならずも他郷にあって、紙上や画面の中に眺め、心に思い描くほかない故郷の桜だ。どれほど帰心をかきむしるものか▼政府がどう言おうと、まだ事故は収束していない。樹下に、賑(にぎ)やかな人声戻る日まで、あの見事な桜は散らずに待っていてくれぬものか。<原子炉のしづまり給へ花鎮め>野村三千代。