HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 19 Apr 2012 21:21:16 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 爆音とともに迷彩を施した大型の双発機が超低空で近づいてき…:社説・コラム(TOKYO Web)
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 爆音とともに迷彩を施した大型の双発機が超低空で近づいてきた。東京・日暮里の自宅の物干し台で、たこを揚げていた少年は慌てて糸を手繰った。胴体に星のマーク。風防の中にはオレンジ色のマフラーを巻いた二人の飛行士が見える。やがて空襲警報が鳴り響いた▼米軍のドーリットル中佐率いるB25爆撃機十六機のうちの一機だった。目撃した作家の故吉村昭さんは「ハワイ奇襲以来、日本軍は優勢に戦いを進め、連戦連勝が報じられていたので、私はそれが敵である米軍機などとは思いもしなかった」と著書『東京の戦争』で振り返っている▼この本土初空襲があったのは、ちょうど七十年前の四月十八日。荒川区の尾久周辺には爆弾三発と焼夷弾(しょういだん)七十発以上が落とされ、十人が死亡し、住宅五十二戸が全焼全壊した▼日米開戦から約四カ月で、太平洋の米空母から、爆撃機が飛来したことに軍首脳は顔色を失った。米空母部隊を攻撃するために海軍はミッドウェー作戦を決断、その惨敗を機に戦況は悪化の一途をたどる▼最初の爆弾が落とされた住宅街の保育園の前に今月、初めて説明板が設置された。その前に立っても被害を想像するのは難しい▼本土初空襲は太平洋戦争の重大な転機となった。空襲は公表されたが、犠牲者が出たことは伏せられた。不都合な事実の隠蔽(いんぺい)は国を危うくすることは今も変わらない。

 

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