一昨年に亡くなった人類学者の梅棹忠夫さんは「おたがいにアジア人だということばは、それは一種の外交的フィクションである」と繰り返し語っていた。アジアは一つというメッセージは希望的観測であり、事実に基づく論理的な解釈ではないという現実思考である▼一口にアジアと言っても歴史も民族も風土も違う。領土問題一つとっても隣国との立場の隔たりは大きいが、その違いを認めた上でなければ政治でも経済でも交渉ごとは動かない▼訪米中の石原慎太郎都知事がワシントンで、沖縄・尖閣諸島の一部を都の予算で購入する意向をぶち上げた。すでに所有者と基本合意ができているという▼「日本人が日本の国土を守るために島を取得するのに、何か文句がありますか」と肩にかなりの力が入っている。問題提起の意味はあっても、都議会ですんなり通るとは思えない▼都民生活に直接かかわらない島の購入に都税を使う。それに理解が得られると本当に考えているなら、都民の感覚とかけ離れている。都知事を辞めて、新党をつくって政府を動かすのが筋だ。東京都は知事の所有物ではないのだから▼「逆に、異質性をみとめたうえでだって、いくらでもうまくゆく道をみつけることができるとおもうのだ」。梅棹さんはそうも語っていた。相手国を異質なものとして排斥し合うなら、失うものの方が大きい。