HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 15 Apr 2012 23:22:19 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 明治に改元される直前の慶応四年、藩内の政治的対立から福岡…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 明治に改元される直前の慶応四年、藩内の政治的対立から福岡秋月藩御用役が、妻とともに同じ藩の武士に惨殺された。十一歳だった長男は仇(あだ)討ちを誓う▼下手人は維新後、東京上等裁判所の判事に就任、出世街道を順調に歩んでいた。山岡鉄舟門下で剣を磨いた青年は明治十三年、父母の恨みを晴らした。わが国最後の仇討ちである▼困惑したのは裁判所だった。明治六年、すでに「禁止令」が出ていた。死罪でもおかしくなかったが、青年を支持する圧倒的な世論も考慮され、情状酌量で終身禁獄の刑が下されたという▼近代国家の仲間入りを目指していた明治政府が、仇討ちなどを禁じる代わりに整備したのが死刑を含む刑法の制度だ。最後の仇討ちから約百三十年。現代では、抽選で選ばれた裁判員が職業裁判官とともに死刑求刑事件の審理も担う▼首都圏の連続不審死事件の裁判員裁判で、さいたま地裁は木嶋佳苗被告に死刑判決を下した。直接証拠が乏しい中、百日という異例の長い期間、裁判員を務めた人たちの心身の疲労の深さを思う▼「夜晴れていて朝雪化粧なら、雪が夜中に降ったのは明らか」と検察は論告で異例の表現を盛り込んだ。状況証拠だけで有罪にできると伝えたかったとしても、文学的な表現は、証拠構造の弱さを逆に浮き彫りにした。検察は自らの立証責任にもっと謙虚になるべきだった。

 

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