HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 08 Apr 2012 22:21:09 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 花拾うがごとく丁寧に:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 花拾うがごとく丁寧に

 水俣の桜は満開でした。桜の下で、ふと思う。人はなぜ、過ちを繰り返すのか。私たちは花を愛(め)でるだけでなく、散る花に学ばなければなりません。

 天草の島々が、遠く不知火海にかすんでいます。

 熊本県水俣市の水俣湾。かつてこの海に垂れ流された高度経済成長の副産物、猛毒のメチル水銀が、最悪の公害といわれる水俣病の原因でした。

 その“公式確認”から半世紀以上の時を経て、水俣市が「環境首都」の名を戴(いただ)くほどの再生に成功した今も、水俣病は、全国に散らばった患者と家族の心身を深くさいなみ続けています。

◆水俣湾のドラム缶群

 厚さ四メートルにも及んだ海底のヘドロの層は、十三年の歳月と五百億円近い費用をかけて浚渫(しゅんせつ)され、土砂で封印されました。東京ドーム約十四個分という広大なその埋め立て地は「エコパーク水俣」と名付けられ、アラカシ、タブノキ、ヤマモモなどの「実生の森」や親水護岸が整備されました。

 水俣湾には、水銀濃度が高い魚を封じ込めるため、仕切り網が設置されたことがありました。

 仕切り網の内側で捕れた「汚染魚」はドラム缶に詰め込まれ、ヘドロとともに、埋め立てられました。その数二千五百本。春風にざわめく実生の森は、経済成長の犠牲にされた無数の小さな生き物たちの墓標なのかもしれません。

 親水護岸のわきの遊歩道には、「魂石」と呼ばれる小さな石仏が約五十体、海に向かって並んでいます。作家の石牟礼道子さんや水俣病患者で漁師の緒方正人さんらでつくる「本願の会」が彫ったもの。何を祈り、何を伝えたいのでしょうか。

 「忘れてはならない」「繰り返してはならない」。水俣の祈りです。切ない願いが何度裏切られようと、水俣は祈り続けています。

◆命が軽視されている

 埋め立て地を見下ろす岬の上の水俣病資料館で昨年六月から半年間、「福島原発事故風評被害−水俣の経験を伝えたい」と題する緊急企画展が開催されました。

 パネル展示は、水俣と福島との類似点を訴えました。

 <人命が軽視されたこと。科学万能主義に陥っていたこと。どちらも国策であったこと。明治四十一年創業の水俣チッソは工業による富国政策の柱であった。原発は国のエネルギー政策を支える根幹の一つであった。経済と効率を優先させたこと。反対意見を言えなくなったこと…>

 そして水俣の経験から予測される今後についても、列挙しました。

 <補償につながる健康被害調査は不十分になる恐れがある。解決には長期間を要すること。環境復元には膨大な費用がかかる。環境復元は完全にはできない。水俣では、企業(チッソ)を擁護する人と被害者の立場に立つ人に別れて地域社会が真っ二つになり対立した。福島でも、原発推進と反対で、地域社会や人心が割れる恐れがある>

 水俣にとって福島は、本当に人ごとではありません。「なぜ忘れられてしまうのか」「なぜ繰り返されてしまうのか」。水俣は、自分自身に問いかけます。

 企画展仕掛け人の一人、「地元学ネットワーク」主宰の吉本哲郎さん(63)は「失敗を認めないと反省が生まれない。反省がなければ教訓は芽生えない。教訓が空(むな)しくなるのは失敗が認められないからだ」と考えます。

 震災から一年が過ぎ、桜も咲いて、さあひと区切りとばかり、原発再稼働の動きが急を告げています。反省はおろか、事故原因の究明も待てずに人は、どこへ急ぐというのでしょうか。

 歴史はなぜ繰り返されるのか。その答えなら明らかです。歴史自身には、繰り返しなどありません。水俣湾に封印された時間は二度と戻りません。葬られた命も二度と戻りません。埋め立て地にも四季が移ろうように、自然も摂理に従って変化します。

◆過ちを繰り返さぬため

 だが、人は繰り返す。過ちを繰り返すのは人だからでしょう。だから失敗を認め、反省し、教訓を生かさなければなりません。

 石牟礼さんは、歴史と暮らしの語り部です。そこに流れたすべての時間、そこに生き、そこで死んだすべての人に“花を奉る”がごとく、一文字一文字敬意を込めて、水俣と水俣病のすべてを書きつづってきた人です。

 今、水俣が、東北が、福島が、威儀を正して日本に問うています。私たちは、いつ、どこで、何を、どう間違えたのか。私たちは、散り敷いた花びらを拾い集めるように丁寧に、その問いに向き合わなければなりません。答えを見つけなければなりません。

 

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