古今東西、架空の地名が登場する物語は多いが、極め付きといえば、やはりユートピアだろう▼英国の思想家トーマス・モアが十六世紀初め、ラテン語で著した空想社会小説の表題だ。以後、理想郷を意味する語として定着したが、「否」と「場所」を意味するギリシャ語からなる。つまり「どこにもない場所」という皮肉な地名である▼大阪府泉佐野市が、市の名を売りに出すことを検討しているという。公共施設などの命名権の売却なら、昨今、いくらでも例があるが、自治体の名、それ自体という話は聞いたことがない▼泉佐野市といえば、関西国際空港も立地するが、報道によると、破綻一歩手前ともいえるような厳しい財政状況らしい。少しでも収入を増やしたいのは当然としても、もし企業名や商品名が市名になれば、歴史や風土と切り離された一種の<架空の地名>になってしまうだろう▼しかし、無論、その都市は<どこにもない場所>などではない。「まえに茅渟(ちぬ)の海、うしろに和泉の連山」(市民憲章)という地理に実在し、十万人余が暮らしている本物の都市。市民や出身者が売却を許すとも思えない▼<かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川>啄木。故郷の名とは、時に故郷そのものだ。収入アップにつながるよう、何かいいことで“名を売る”別の手を考えてもらえぬものか。