HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 49067 Content-Type: text/html ETag: "f4ef8-13b6-4bb9afb3fd3a8" Expires: Tue, 20 Mar 2012 02:22:25 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Tue, 20 Mar 2012 02:22:25 GMT Connection: close 3月20日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)




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3月20日付 編集手帳

 人の世は悲しいことばかりではないけれど、楽しいことがあればあったで周囲にあれこれと気を使い、生きている以上は、せわしさが身を離れることはない。だから、こういう歌も生まれるのだろう。〈されどゆつくりと墓の中に眠りたし千の風へと千切れるよりも〉◆コピーライター吉竹純さんの歌集『過去未来』(河出書房新社)から引いた。千の風になった人も、家族が墓前に手向ける香華のそばに翼をやすめる頃かも知れない。彼岸の中日である◆先週、ある人の葬儀で春とはまだ名のみの北信濃に出かけた。出棺のとき、雪がちらついた◆北国では除雪のスコップを携えての墓参りだろう。『読売俳壇』の選者、矢島渚男(なぎさお)さんに〈亡き母に()けし体温冬の星〉という句がある。冬の名残の寒気のなかで生きてある身の体温を実感し、その体温を授けてくれた人を(しの)ぶ。春の彼岸ならではの、心の傾きもあるに違いない◆生まれてこの方、ずいぶんたくさんの言葉を習い覚えてきたつもりだが、墓前に立つといつも、「ありがとう」と「ごめんなさい」のほかは浮かんでこない。おそらくは、きょうもまた。

2012年3月20日01時23分  読売新聞)

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