大正から昭和にかけて、強盗などを百件近く繰り返した男がいた。夜が明けるまでの時間稼ぎや家人を落ち着かせるため「泥棒よけに犬を飼いなさい」などと言い聞かせ、「説教強盗」と呼ばれた▼その神出鬼没ぶりは、生活に苦しむ庶民たちの格好の憂さ晴らしになったらしい。無期懲役の刑で服役し、戦後、恩赦で出所した後は、防犯協会の講演などに余生をささげた▼強盗犯から防犯活動への転身を、一人の元官僚と重ねるのは非礼だろうか。福島第一原発の事故の後、内閣府参与として政府に助言する立場にいる広瀬研吉氏のことである▼原子力安全委員会が、原発事故に備えて防災重点区域の拡大を検討していた六年前、経済産業省原子力安全・保安院長だった広瀬氏は、双方の幹部が出席した会合で、「なぜ寝た子を起こすのか」と検討中止を要請したという▼あの時、区域が広がっていれば、住民はもっとスムーズに避難できたという声が専門家から聞こえる。安全を守る組織のトップだった広瀬氏の責任は極めて重大だ▼原子力ムラの官僚や学者は事故後も、政府や安全委で強い影響力を保っている。彼らの辞書には過ちの「責任」という言葉はないようだ。安全委と保安院などを統合した原子力規制庁が発足する予定だ。無責任なムラの住人を排除して独立性を保たなければ、同じ間違いを繰り返すだろう。