昨年亡くなったシナリオライターの石堂淑朗さんは、かつて娘を抱いた若い思想家を見掛け、インテリの子どもの抱き方ではないと感銘を受けたことがある▼「その人の一挙措で、その人の全思想を実感させることがあるのではないだろうか」。そう言わしめたのは八十七歳で亡くなった吉本隆明さんだ。時代状況への先鋭的な発言や権威に歯向かうイメージとは裏腹に、素顔は気さくな下町っ子だった▼大衆の中に足場を置き、自らの思想を紡いだ。公言していた権力嫌いの源泉は軍国青年としての戦争体験と戦後、価値観をがらっと変えた社会への反発だった。既成左翼の戦争責任も厳しく追及、孤立を恐れず思索を深めた▼戦後五十年の一九九五年に「戦争と平和」と題した講演が興味深い。吉本さんはここで、憲法に一つ条項を加えれば戦争を防ぐことができるという提案をしている▼国民が主権を直接行使したい時は有権者の過半数の署名を集めて、直接投票で政府をリコールできるという条項だ。「本当に必要な政治的な課題というのは、本当はそれしかないんですよ」と語っていた▼原発の存廃やエネルギー問題の将来も、まさに国民投票によって決めるべきテーマであろう。「大衆の原像」を自らに繰り込んできた思想家が、震災後に湧き上がった反原発の潮流を批判していた真意を直接、問うてみたかった。