首都圏の連続不審死事件で、木嶋佳苗被告の裁判が結審した。検察側は死刑を求刑、弁護側は無罪を訴えた。直接証拠がない難事件だけに、裁判員らには厳正な事実認定に基づく判断を望みたい。
「朝起きて雪が積もっていれば、雪が降った場面を見ていなくても、夜中に雪が降ったと思う」と検察側は例え話を用い、犯行を認定できると主張した。
雪の例え話は、うっかりすると、厳正であるべき事実認定を甘くする方向に導きかねない危険性をはらむ。まるで裁判員に想像力で考えるように求めている印象さえ持たれる。裁判員裁判でも事実認定のハードルを下げることは、むろん許されるはずがない。
この裁判は、プロの裁判官であっても判断が難しい。三人の殺害について直接証拠がなく、間接証拠を積み上げて検察側は立証しているからだ。
三人の死亡した男性の共通点を検察側は(1)被告と三人が死亡直前まで会っていた(2)三人は一酸化炭素中毒死(3)現場にあった練炭とこんろは被告が事前に用意したものと一致−と指摘している。
死亡状況が酷似したケースは、どう判断したらいいのか。悩ましさはそこにある。弁護側は「三人は別れ話が原因の自殺や火災による事故死だ」と主張している。
これから約一カ月かけて、六人の裁判員と三人の裁判官による評議と評決などが行われる。自殺などの可能性はなかったか、三人について一件一件、精緻に吟味せねばならないのは当然である。
三つの事件に類似点があることは、一つの事件の事実認定が、別の事件の証拠となるかという法的テーマも含んでいる。裁判官が法律の解釈や判例などを、わかりやすく説明しないと、裁判員は適切な結論が出せない。裁判官の責務は極めて重いといえる。
選任手続きから判決まで「百日裁判員」を務める市民には確かに重い負担だ。だが、連続不審死という難解な事件を扱うのに、三件別々に審理する「区分審理」の手法を使っては、全体像をつかめぬまま判決に至ることになる。この裁判は過去最長の百日を要するのはやむを得ない。
「疑わしきは被告人の利益に」の原則がある。先月には最高裁が二審を覆し、裁判員の無罪判断を尊重する判決を出した。一審の重みは増している。死刑求刑事件だけに、市民には予断を排し、冷静な判断が求められる。
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