HTTP/1.1 200 OK Date: Mon, 12 Mar 2012 21:21:17 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞: 津波で丘の上から転がり落ちた石碑がある。そこには昭和八年…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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 津波で丘の上から転がり落ちた石碑がある。そこには昭和八年に起きた三陸大津波で、この地に十尺(約三メートル)の津波が到来し、「地震があったら津浪(つなみ)の用心」と刻まれていた▼特産の赤貝で知られる宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区は、約七千人の住民のうち少なくとも九百八十四人、およそ七人に一人が犠牲になった。津波は来ない、と港町の人々は思い込んでいた。碑文に気付いたのは、町が壊滅的な被害を受けた後だった▼大震災から一年を迎えたきのう、閖上では流された自宅跡に花を手向ける人が絶えなかった。午後二時四十六分、日和(ひより)山と呼ばれる丘の周辺には約五百人が集まり、黙とうした▼向かいの家のお年寄りを助けられなかったことが心残りと語る女性がいた。生徒十四人が亡くなった中学の慰霊祭で「大きい地震が起きたら中学に来なさいとしつこいほど言っておけば良かった。教師として未熟だった」と涙ながらに悔やむ教師がいた。生き残った人に、辛(つら)い記憶をよみがえらせる日でもあった▼東北のブロック紙河北新報の朝刊に、宮城県内で死亡の確認された人の名前と年齢が六面にわたって掲載されていた。全国で約一万九千の犠牲者−。そう数量化されるのを拒む死者の声が立ち上る気がした▼声なき声を紡いでいきたい。被災者と呼ばれている人たちが、自らを「震災体験者」と思える日が来るまで。

 

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