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ひしゃげた車や漁船が畑に転がる。原発事故の警戒区域、福島県浪江町の請戸(うけど)地区はあの日のまま時間が止まっている。
福島から県の内外に約16万人が避難し、今も仮暮らしを強いられている。流出はまだ止まらない。事故は被災地の日常を断ち切り、一方で今も人々に被害をもたらしつづけている。
事故は放射能をばらまいただけではなく、人々の間に心の分断ももたらした。
まずは福島と、そこから遠い人の分断だ。宮城や岩手のがれきでさえ放射能への不安から広域処理が進まない。痛みを分かちあってもらえないのか。そんな疎外感が県民にはある。
分断は県内にもある。大きいのは、ふるさとに戻るか、戻らないかの考え方の違いだ。
政府は4月にも避難区域を3区分に再編する。放射線量の少ない「避難指示解除準備区域」になる自治体は、もとのまちに帰れるめどがたつ。
だが帰還に備えた話し合いが進むにつれ、住民の考えの違いが表面化した地域がある。ふるさとに戻っての再建をめざす人たちと、元の生活に戻るには何年もかかるから新天地を探すべきだという人たちだ。
■分断の被害が続く
背景にあるのは、放射能の影響への見方の違いだ。政府は、準備区域などでは2年以内に除染を終える方針を示している。
しかし、2年で本当に終わるか、住民の不安は強い。効果についても、朝日新聞と福島大・今井照(あきら)研究室の調査で避難者の8割が疑っている。除染後に線量が戻る例がある。農業などを再建できるかの不安もある。
どこで生活を再建するかは、元手となる賠償に左右される。
原子力損害賠償紛争審査会が指針作りを続けている。だが、ふるさとに帰る場合はいつまで賠償を受けられるのか。帰らない人はどうなるか。まだはっきりしないことが多く、住民の多くは行く末を決められない。
自主避難した人たちと、地元に残った人たちの溝もある。
危険がないのに、なぜ避難するのか。地元を離れている人がいるから人手が足りず、除染が進まない――。里帰りしてそんな不満を耳にし、つらい思いをした人は多い。
先が見えないことへのいらだちが、こうした心の分断を招いている。不安を和らげるため、除染や賠償の見通しを早く決めなければならない。
■除染と賠償の道早く
除染を進めるには中間貯蔵施設が必要だ。細野豪志環境相は3町に分けて造る提案をした。結論ありきではなく、住民の合意づくりを丁寧に進めてほしい。その方が結局は早く造ることができるだろう。
賠償は、たとえば新たな土地に移って事業を始めたい人には一括払いが必要だろう。
ふるさとに帰るか、別の土地で再出発するかを判断する妨げにならないよう、額や期間、支払い方を工夫したい。
帰るかどうか。避難した人を迷わせるものがほかにもある。事故前の人のつながりを元に戻せるかという不安だ。
大熊町や双葉町など複数の自治体は、帰還まで数年かかることを見越し、他の自治体の中に「仮の町」をつくる計画を進めている。住民のまとまりを保つ方法として注目される。
医療や介護、教育などの生活基盤づくりは、受け入れ側の自治体との協力が大切だ。国と県の支援も要る。
各地に散らばって避難した人たちが、ふるさととのつながりを保てる仕組みも考えたい。
福島大の今井教授は「二つの住民票」を提案している。
もとの住民登録を保ちながら避難先の自治体にも届ける。介護などの生活に密着したサービスは今住む市や町で受けつつ、復興への話し合いをはじめ、ふるさとの政治に参加する権利を持つ。そんな発想だ。
二つの住民票はふるさとの町にとっても、復興の支え手を増やせる利点がある。帰ってくる人も増えるかもしれない。
いま必要なのは「仮」ではない落ち着いた生活だ。それにはつながりづくりが欠かせない。
3800人が身を寄せる山形県米沢市は、避難者を臨時職員に雇い、避難者の支援センターの切り盛りを任せた。
週に一度のお茶会で同じ立場の人どうし悩みを分かちあう。地元NPOはその相談に乗り、バザーや子育て支援の集まりも開いて暮らしを支える。避難者の多い団地では、もとからの住民と一緒に自治会をつくった。
■何げない日常の重さ
避難者が支え合い、地元にとけ込む。そんな共同体を各地につくろう。地元にとっても活性化につながるだろう。
帰る人も帰らない人も、なにげない日常と、先を考える余裕を取り戻す。それを支えるのが原発の電力を使ってきたこの社会全体の務めである。