HTTP/1.1 200 OK Date: Sat, 10 Mar 2012 00:21:09 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:3・11から1年 被災地に自治を学ぶ :社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

3・11から1年 被災地に自治を学ぶ 

 大津波の被災地で復興のイメージがようやくできつつある。苦しみながらも、力を合わせ古里の未来を描く人々。見習いたい自治の原点がここにはある。

 岩手県宮古市田老地区。高さ十メートル、総延長二・四キロ、要塞(ようさい)のように街を守ってくれるはずだった防潮堤が破壊され、多くの犠牲者が出た。明治二十九年、昭和八年の大津波でも壊滅的な被害を受け“津波太郎”の異名。同地区出身で歯科医師の山本正徳市長は「復興は住民主体で」と掲げた。計画案づくりは昨年九月から始まる。

◆7対3の対立を経て

 話し合いでは浸水した全戸が高台移転すべきだという意見が多かった。一方で「先祖代々の土地だから」と、低地での居住を望む住民も譲らなかった。およそ七割対三割。予定の四回では収まらず、二月末まで計六回続いた。

 最後は、高台移転を基本としながらも土地利用を数通りに分けることで合意した。堤より海側は人が住まない地域とした。漁港、水産加工団地や公園に充てる。堤に沿う山側は公共施設と商業ゾーンに。約四メートルかさ上げし条件付きで居住を認めた箇所も設けた。防潮堤が一四・七メートルで再建されることを受けた折衷案だ。

 検討会や全体の会議に参加した住民から、質問や意見は尽きなかった。専門家を交え、一つ一つを丁寧に議論していった。市長は「どうなることか」と気をもみながらも、口を出さずに見守った。復興にはスピード感も必要だが、結論を急ぎすぎては将来にわだかまりを残す。合意に至る過程が重要なのだ。生きた住民自治がそこにはある。

 新たなまちづくりは長丁場だ。高台に移る、低地に残る、公営の復興住宅に入る−。これから住民が選択していくためにも、話し合いの場は続いていく。

◆「海が見えなくなる」

 東北三県は再建する海岸堤防の高さを、数十〜百数十年の頻度で発生する津波を基準に決めた。中央防災会議が示したように、今回のような千年に一度の最大クラスは堤防では防ぎ得ない。岩手県の三陸海岸は大半が五メートル前後引き上げられる。

 宮城県では「それでは高すぎる」と反発する人たちがいた。気仙沼市の漁民らは六・二メートルとなる堤防高に「海が見えなくなる」と主張。松島町は「日本三景の景観が損なわれる」との理由で県と掛け合った。湾内の島々が津波を低減したこともあって、堤防高は計画の最大四・三メートルから三・三メートルに変更された。

 海と共生していく発想だ。人間は自然を抑え込めない。頭では分かっていたが、それを一年前に思い知らされた。国・県の基準や決定に異議を唱えるのも、現場を知り尽くした地元住民だからこそ、である。まさに「住民目線」とは、そういうことだ。百の被災地があれば、百のまちづくりがある、わけだ。

 行政に頼らず、自分たちで避難道を造った例もある。

 宮城県南三陸町の馬場中山地区は約百軒の九割が津波にのまれ、海岸沿いの道路が寸断され孤立した。住民たちは、過去に耕作用として使っていた山越えの農道(幅二・五メートル)を、急病人の搬送や水の補給で何度も往復した。

 町に拡幅を陳情したが、それどころではなかった。ならば…。約四十人の地権者を含む地区の総意はすぐに得られた。福井、埼玉県などの有志が提供してくれた重機や資材で樹木を伐採、山を切り開いた。幹線道路へつなぐ延長一・七キロ、幅六メートルの砂利を敷き詰めた道路は完成間近だ。

 「ここで生き続ける意思を形にしたかった」と住民たちは言う。名付けて「未来道」。沿道には集団移転の用地も確保できた。先人たちの遺産を生かし、子孫たちに伝える大事なメッセージになる。

 被災地では「自分たちのことは自分たちでやる」と自助・共助が広がっている。

 こうした復興への動きには、私たちが見習うべきことはたくさんある。地方自治体の運営はその地方の住民の意思によって行われるべきである、という住民自治を実現しているからだ。きっかけは不幸な被災であっても、結果が伴う分、住民自治は間違いなく鍛えられる。日本全体で関心をもつべき事柄なのだ。

◆「お任せ」はやめよう

 中央から地方への動きが大きく進もうとしている。同時に自治体の自主自立が求められている。それは、住民の参加やかかわりが広く深いほど、大きく確実に成し遂げられる。政治や行政に「お任せ」の時代は終わった。災害に強いまちづくりも、同様である。震災からの復興は、これから長くて険しい道のりだ。しかし、費やす時間は決して無駄ではない。その過程のすべてが未来につながる。

 

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