大阪市の放火殺人事件で無期懲役が確定した元被告二人の再審開始が決定した。捜査段階の「自白」への過信が、またも問題視された。客観的な証拠が、より重視される時代の変化が感じられる。
母親と同居相手の男性が一九九五年、保険金目的で自宅に火を付けて、小学六年の長女を殺害したとされる事件だ。
男性は捜査段階では放火を認めたものの、「虚偽の自白だった」として、裁判では二人とも起訴内容を一貫して否認、無実を訴えていた。一審・二審とも有罪で、最高裁も支持して、無期懲役が確定していた。
この判断に疑問を呈し、「開かずの門」ともいわれる再審の扉を開かせたのは、弁護団の努力だ。放火とされた現場を再現し、新実験を行ったのだ。風呂釜を種火状態にしたまま、ガソリンをまくと、引火する結果が出た。つまり、ガレージの車から漏れたガソリンが種火に引火した事故だ−。弁護団はそう主張した。
今回の再審開始決定でも、その点を最重視している。「(男性が)ライターで点火する余地はないのではないか」「自白が真実であれば、何らかのやけどを負う方がむしろ自然ではないかとの疑問が生じる」などと明確に述べた。そもそも、裏付けとなるライターは見つかっていないのだ。
そのうえで、「自白には科学的見地からして不合理なところがあり、燃焼状況は男性元被告の自白と矛盾する」と結論づけた。放火の方法という事件構図の核心部分で、信用性が揺らいだわけだ。
「取調官の誘導に基づいて供述した疑いがある」とまで指摘された。取り調べの問題が、またも浮かんだ点は重大だ。二〇一〇年に再審無罪となった足利事件、昨年の布川事件と似た“病根”が露呈しているからだ。
昨年十一月には福井女子中学生殺害事件で再審開始の決定が出た。名張毒ぶどう酒事件や袴田事件、東電女性社員殺害事件などで犯人とされた人物が「無実」を叫び続けているケースは多く存在する。
再審の要件は「無罪にすべき明らかな証拠を新たに発見したとき」と規定されている。再審のハードルが依然として高いのは、検察側が被告に有利な証拠を隠していることが少なくないためだ。
証拠の全面開示を進めることこそ冤罪(えんざい)防止になる。捜査機関も「自白は証拠の王」といった古い考え方は捨て去るべきである。
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