数日前、深夜に帰宅すると、異臭が鼻をついた。防腐剤? 居間の電灯をつけて、合点がいった。雛(ひな)人形がしつらえられてあった▼今日は、上巳(じょうし)の節句、雛祭り。孫娘の雛人形を購(あがな)いに行った先輩が、人形店で聞いたそうだが、七段飾りは昨今、さほど売れないらしい。高価で場所もとるほか、出したりしまったりに手がかかるゆえかもしれない▼雛祭りは、室町時代に三月の祭礼行事となったそうだが、当時は夫婦の人形に桃酒、母子餅を供えるだけの素朴なものだったらしい(嶋岡晨著『「四季のことば」辞典』)。拙宅の人形にも五人囃子(ばやし)以下はないが、“原点回帰タイプ”といえなくもない▼<ひとつづつ雛のおもてを包み蔵(しま)ふ雪降る午前しづけくしあり>宮英子。あの大津波が、東北の被災地を襲ったのは、そんな風に家々で人形がしまわれて、しばらくのころだ。どれほどの雛人形が波にさらわれたことか▼だから、そんな一つが、岩手県山田町の仮設住宅談話室に飾られたという過日の報道(時事)には、胸に温かみのさす思いがした。歩いて十五分ほどの場所まで流された持ち主の自宅から、しまった箱ごと見つけ出され、昨夏、ボランティアがきれいに洗ってくれたという▼被災地はなお苦難の中にあるが、年中行事も可能な限り「らしく」できればと思う。失われた日常を取り戻す手掛かりとなるように。