今も同じ光景が見られるのだろうか。自民党政権時代、野党議員が国会で何を質問するのか、霞が関の役人は血眼になってかぎ回っていた。質問の内容を簡単にしか通告しない議員がいるからだ▼取材を終えて議員の部屋を退出した記者を追い掛け「先生はどんな話をしていましたか?」と探るのも仕事だった。適切な答弁を準備できないと、大臣や次官に恥をかかせる。官僚自らの出世に直結するだけに必死なのだ▼最も嫌がられた野党議員は、九十一歳で亡くなった楢崎弥之助さんだろう。綿密な独自調査を基にロッキード事件やリクルート事件などの政府・与党の疑惑を追及、「国会の爆弾男」と呼ばれた▼夜、議員宿舎に何度か取材でお邪魔したことがある。散らかし放題の部屋には、自らが調査している資料が山のように積まれていた。国会での疑惑追及にかける姿勢に圧倒された▼政界を引退した楢崎さんが表舞台に突然現れたのは昨年夏だった。社民連時代からの同志である菅直人首相(当時)に引導を渡そうと福岡から上京。多忙を理由に面会を断られると、民主党の全ての国会議員に向けて文書を配った▼「政治は国民のためのものであって、菅直人君の権力欲を満足させるためにあるのではない」。即刻の辞職を求めた楢崎さんの「遺言」に、菅首相は耳を貸さなかった。最後の爆弾は不発に終わった。