HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 19439 Content-Type: text/html ETag: "15c77d-4684-cfafe040" Cache-Control: max-age=3 Expires: Sun, 26 Feb 2012 20:21:14 GMT Date: Sun, 26 Feb 2012 20:21:11 GMT Connection: close
陸上競技の競走で、電光石火の100メートルは、走者が時間に向かって突き刺さっていくイメージがある。片やマラソンは、時間を背後へ、背後へと捨て去って、走り続ける競技のように思われる。どこか人生に似ている▼そして人生はままならない。昨日の東京マラソンで、埼玉県庁の公務員ランナー川内優輝選手(24)は2時間12分51秒の時間を背後に残してゴールした。14位という苦しいレースに、ロンドン五輪への切符は遠のいたという評が聞こえてくる▼去年の暮れ、福岡国際を2時間9分57秒で走って日本人トップの3位に入った。その成績を「虎の子」として五輪選考を待つ選択もあっただろう。だが座して待つことなく東京を走った▼好成績なら五輪行きを不動にする。しかし惨敗なら虎の子も帳消しになりかねない。そんなチャレンジだった。結果は不本意だろうが拍手を送りたい。「青年は決して安全な株を買うな」。精根を尽くしての走りに、フランスの詩人コクトーの言葉がよぎっていった▼マラソンが初めて42.195キロで走られたのは第4回のロンドン五輪だった。先頭で来た選手はふらふらになり倒れてしまう。役員に助けられてゴールしたが失格になった逸話が残る。以来104年、恐るべき距離は、いまや市民が楽しむ距離になった▼川内選手らの闘いの後には、祝祭空間のようなコースを3万6千人が思い思いに続いた。そして参加者の数だけの「人生」が、ゆったりと、首都の道に一筆書きで描かれた。