大都会の外れで家族三人が人知れず亡くなっていた。餓死だったかもしれないというからやり切れない。痛ましい最期を迎える前に、異変を告げるサインを救済に結びつけるすべはなかったのか。
二十日昼すぎ、さいたま市のアパートの一室で三人は見つかった。東北新幹線の高架に程近く、周りは工業団地と田畑に囲まれている。人目は決して少なくない。
警察によれば、六畳の和室に六十代の夫婦が、四畳半の和室に三十代の息子が布団に横たわっていた。食べ物は見当たらず、水の入ったペットボトルが脇に置かれていただけだった。
二カ月くらい前に息絶えたようだ。現金はほとんどなく、しばらく水だけで飢えをしのいでいたらしい。庶民の暮らしを支えるセーフティーネットのあまりのもろさにがくぜんとさせられる。
救いの手を差し伸べるきっかけはいくつもあったはずだ。
この半年間は家賃の支払いが滞り、水道料金も未納だった。電気やガスも止められていた。ポストは郵便物でいっぱいだった。
昨年十二月には、妻が面識のない近所の人を訪ね、夫が病気で困っていると打ち明けて借金を頼んだという。もちろん簡単に応じられる相談ではないが、懸命にSOSを発信していたのだろう。
事業者の担当者や近所の人たちが生活苦を指し示す多くの兆候をもう少し深刻にとらえ、機転を利かせて福祉行政の窓口につなげていれば、と悔やまれる。
住民登録をしていなかったのも、公的救済の死角になった。地元の民生委員が生活に困窮している家族や独り暮らしのお年寄りたちを見守るには、住民登録のデータなどを基にするからだ。
民生委員と電気やガス、郵便などの事業者、町内会、行政が連携し、きめ細かな情報の共有を絶やさないことが大切だ。近所の“おせっかい”も効果的ではないだろうか。いま一度肝に銘じたい。
東京都中野区は事前の承諾を条件に、お年寄りや障害のある人たちの個人情報を町内会や警察署などに知らせ、見守りに役立てる取り組みに乗り出した。
声なき弱者たちに地域の目を行き届かせようと、今まで受け身だった行政が一歩踏み出した珍しい試みだ。社会的な孤立を防ぐ手だてとして注目したい。
生活に困っても世間体を気にしたり、知識がなかったりして救済策から漏れる人も多い。身近な人にでいい。声を上げてほしい。
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