氷点下六〇度以下まで気温が下がるシベリア北東部は、北半球で最も寒い地域だ。旧ソ連の気候学者によると、東京から二千六百キロ北のマガダン市では、平均して雪原に土が顔を出す三月二十日と、ヤナギが開花する四月十九日の間の四月三日から春が始まるという▼興味深いのは、二月十五日からを「光の春」と呼ぶことである。太陽の高度が上がり、日の当たる側の屋根の雪が解けてつららになり、そこから最初の一粒が輝きながら落ちる。それが光の春の始まりのようだ(倉嶋厚著『季節ほのぼの事典』)▼マガダンは戦後、旧ソ連に抑留された日本の兵士らが数多く命を失った場所でもある。極寒と飢えと重労働の三重苦にあえぐ抑留者たちが季節の変化を実感する光の春は、生きる希望そのものだったのではないか▼小欄の大先輩である堀古蝶(こちょう)さんは抑留経験のある人だった。シベリアの雪の下からいち早く細い葉を出し小さな白い花をつけるマツユキソウを「春の使者」と呼んだ▼「防寒靴の先にこの花をみつけたときは、生きながらえてめぐりあった春の喜びに体の力が抜けるような解放感を味わったものだ」。清らかな姿が忘れられないと書いている▼東京でもようやく梅がほころび始めたが、寒波の影響でまだほとんどのつぼみは身を固くしている。それでも、日脚は確実に伸びている。光の春が来ている。