一審無罪、二審有罪のケースについて、最高裁は裁判員の無罪判断を支持する判決を出した。「市民感覚」を尊重する新基準ができたと同然だ。裁判員らには事実認定がより厳格に求められよう。
裁判員裁判で無罪が導かれたとする。二審のプロ裁判官は今まで、一審同様に同じ証拠で検討をやり直し、独自の判断をしてきた。その結果、一審と異なり、有罪となるケースが出てくる。
そうなると、市民の視点や常識を裁判に反映する裁判員裁判の意義は大いに薄らぐことになる。この問題をどう考えたらいいのか。
二〇〇九年に元会社役員が缶に入れた覚せい剤を海外から持ち込もうとしたとして、覚せい剤取締法違反罪などで起訴された事件がそれに当てはまる。
一審の裁判員裁判では、被告の「缶の中身が覚せい剤と知らなかった」との供述に基づいて無罪とした。だが、二審の東京高裁は「供述は信用できない」と一審の事実誤認を指摘して判決を破棄し、有罪判決を下していた。
最高裁はまず二審の役割について「一審と同じ立場で審理するのではなく、事後的な審査を加える」場だと位置付けた。そして、「一審判決に事実誤認があると指摘する場合は、不合理な点を具体的に示すべきだ」として、二審を破棄、無罪に導いた。裁判員裁判の結果を尊重したといえよう。
確かに裁判員制度の導入で、法廷での直接のやりとりを重視する審理が徹底されるようになった。だからこそ、二審は「一審の証拠の見方や総合判断が論理として成立しているか、一般常識とのずれがないか」を重点的にチェックすべきなのである。
二審が一審を覆すときは、差し戻し、審理をやり直せばよい。最高裁の判断は制度の趣旨にかなうだろう。検察側の控訴や高裁の審理にも大きな影響を与える。
裁判員たちにも、より適切で厳格な事実認定などが求められることになる。ただし、今回の判断は、一審無罪のケースに限って考えるべきではないか。
一審有罪の場合は、やはり「推定無罪」の大原則のもとで、二審は判断するのが当然である。誤った有罪判決を維持することがあっては決してならない。一審の事実認定などに不合理な点はないか、二審では今後、いっそう厳しい目でチェックすべきだ。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が揺らぐことはありえない。
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