HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 49941 Content-Type: text/html ETag: "2f512a-1352-4b89e60cdde06" Expires: Sat, 11 Feb 2012 01:21:18 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Sat, 11 Feb 2012 01:21:18 GMT Connection: close 2月11日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)




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2月11日付 編集手帳

 人は島ではない。一人ひとりが「人類」という大陸の一部である。ひとかけらの土くれが洗い流されてもそのぶん大陸が狭まるように、見ず知らずの誰の死であれ、私を小さくする…。英国の詩人ジョン・ダンは『危機に際しての祈り』につづった◆どこかで人が死ぬ。弔鐘が鳴る。「誰のために鳴っているのか? あなたを弔って鳴っているのだ」と。その一節はアーネスト・ヘミングウェーが小説の表題に用いたことでも知られる◆誰かが死ぬことで、自分のなかの一部も死ぬ。英文学は門外漢の身で僭越(せんえつ)ながら、言わんとするところはそのあたりだろう◆理想主義者の“きれいごと”さ…と、斜に構えて聞き流すこともできる。だが、どうだろう。〈3・11〉以降、詩人の言葉を肌身に感じた人も少なくないはずである。握りしめた10円玉を爪先立ちで募金箱に入れた幼稚園児。優勝の瞬間、天を指さす歓喜のポーズもなく、静かにマウンドに歩み寄った高校球児。忘れがたい光景は幾つもある◆「建国記念の日」は、命というものに思いをめぐらす日でもあろう。この11か月、どれほど多くの弔鐘を聴いたか。

2012年2月11日01時10分  読売新聞)

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