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福島第一原発の事故で経営難におちいった東京電力の国有化をめぐり、激しい駆け引きが繰り広げられている。焦点は、国費の注入で国がどこまで経営権を握るかだ。[記事全文]
復興庁が、きのう発足した。東日本大震災の復興事業を統括し、被災した自治体からの復興特区や交付金の申請などの窓口となる。野田首相をトップに、平野達男[記事全文]
福島第一原発の事故で経営難におちいった東京電力の国有化をめぐり、激しい駆け引きが繰り広げられている。
焦点は、国費の注入で国がどこまで経営権を握るかだ。
政府の窓口として東電に賠償資金を支援している「原子力損害賠償支援機構」は、議決権を支配できる3分の2以上の株式取得を主張している。
これに対し、東電は「国が拒否権を使える3分の1まで」と抵抗しているという。
おかしな話だ。
賠償や廃炉でお金が必要なのは、東電のほうである。巨額の費用を自力でひねり出す力がない。それどころか、本来ならとっくに破綻(はたん)している財務状況にある。
国の支援は、賠償金の支払いや事故処理が滞ったり、電力供給に支障をきたしたりしないための措置だ。東電を助けるためではない。そうでなければ、納税者は納得しまい。
死に体となった企業なのに、なぜ勝手なことを言うことが許されているのか。
まだある。
資本注入額と想定されている1兆円は、できるだけ国費の投入を抑えつつ、現在の東電の株価に照らして株式の3分の2を取得できる水準を考えて算出されている。
「3分の1まで」というからには、金額も半分でいいのかと思えば、そこは「1兆円が必要だ」ということらしい。
これでは、ゴネ得もいいところではないか。
そもそものボタンのかけ違えは、早い段階で東電を実質破綻企業と断じて、公的管理下に置かなかったことにある。
確かに、現行の原子力損害賠償法や破産法制の枠組みのもとでは、難しい面もあった。
だが、そこに乗じて東電処理に反対したのが、財政負担を避けたい財務省だ。融資の焦げ付きを恐れて、救済を画策した主力銀行と思惑が一致した。この「呉越同舟」二者が今回も水面下で動いているという。
繰り返すが、東電には自力で賠償や廃炉費用をまかなう能力はない。破綻処理が筋だ。存続させたところで問題の先送りにすぎない。
東電を温存すれば、満足に投資ができない不健全な企業が居座ることになる。電力市場への新たな事業者の参入による経済の活性化や雇用創出を妨げる。
「金を出す以上、口を出すのは当たり前」(枝野経済産業相)である。3分の2以上の株式が握れないのなら、税金投入をやめるべきだ。
復興庁が、きのう発足した。
東日本大震災の復興事業を統括し、被災した自治体からの復興特区や交付金の申請などの窓口となる。
野田首相をトップに、平野達男復興相のもと、本庁を東京に置き、盛岡、仙台、福島各市に復興局、沿岸部の自治体に8カ所の支所や事務所を設けた。
迅速かつ丁寧で、手厚い対応を期待する。
だが、震災発生から11カ月もかかったあげくに、組織としての機能に疑問符がつきまとう厳しい船出である。
野田首相は、要望などを一手に引き受ける「ワンストップ窓口」だと強調してきた。1兆9千億円の復興交付金も「使い勝手がいい」といってきた。
しかし、どちらも看板倒れではないのか。そんな声が、被災地に広まりつつある。
復興庁の職員は各省から集めた約250人。本庁160人、被災地90人の体制だ。ほかに国土交通省はじめ、各省の出先機関の職員らが併任される。復興局にも権限を与えるというが、2020年度までの時限組織だけに、職員は出身官庁の意向も背負わざるを得まい。
復興相には他省庁への勧告権があるが、どこまで通用するのか。「ワンストップではなく、ワンステップにならないか」という村井嘉浩宮城県知事の言葉が地元の不安を象徴する。
復興交付金も使い道が狭い。対象となる事業が、国交省など五つの省が所管する40事業とその関連事業に限られるためだ。高台への集団移転や道路建設、学校の新増築などはあるが、湾内のがれき処理などの浚渫(しゅんせつ)はない。「それは別途、水産庁などの予算で」という。
すでに78市町村が、5千億円近い事業を申請している。その採否と金額は、事業を所管する官庁と調整して決める。地方の実質負担はないが、要するに、一般の補助金をめぐる国と地方の関係と同じなのだ。
ある町の幹部は「何にでも使えるといっていたのに、結局は国のメニューから選べということ。税金だから査定は仕方がないが、現場と霞が関の感覚の違いを感じる」と話す。
この感覚の違いを、埋められるかどうか。それが復興庁の評価の分かれ目になる。霞が関の理屈で「それはできない」と拒むのではなく、被災地側に立って「これはできる」と言う役割を果たさねばならない。
今後は交付金の対象事業の拡大や、見直しもすべきだ。
ひたすら自治体と二人三脚で歩む。それが復興庁の使命だ。